アメリカはフィラデルフィアに住む“りんたろう”のブログ


by ring_taro
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エッシェンバッハは曲がシリアスであればあるほどいい

フィラデルフィア管弦楽団演奏会 (Mar. 12, 05)
キメル・センター、ボライゾン・ホール

スメタナ: 『売られた花嫁』より三つの舞曲
グリーグ: 歌曲集
ドヴォルザーク: 交響曲第七番

クリストフ・エッシェンバッハ: 指揮
バーバラ・ボニー: ソプラノ

前の日にノルウェーはオスロから来たオケのリヒャルト・シュトラウスを聴いたと思ったら、今日はアメリカのオケ、アメリカの歌手でグリーグを聴くと。

なんだか不思議な感じです。
かつてパリに旅行に行ったときにフランス国立管の演奏会に行ったら、スヴェトラーノフの自作自演とかを聴いたということがありました。なんだか不思議な感じでした。

それはさておきバーバラ・ボニーの歌ってすごくいいですね。
フォルティシモでも決してキンキンすることのないソプラノって素敵です。ホールの空気に溶けていく感じ。やさしさと冷たさが一緒になった歌声はこれらのグリーグの曲にぴったりでした。
ちなみに曲は「モンテ・ピンチョより」、「ソルヴェイグの歌」、「ソルヴェイグの子守唄」、「白鳥」、「春」の五曲。

そして休憩後はドヴォルザークの七番。
この半年くらい、エッシェンバッハの指揮でいろいろな曲を聴いて思ったのですが、彼の場合は曲想がシリアスであればあるほど名演になる確率は高いです。ドヴォルザークなら八番よりも七番、チャイコフスキーなら五番よりも「悲愴」といった感じです。

エッシェンバッハはそういったシリアスな曲を、より深刻な方へ深刻な方へ持っていこうとします。普通の指揮者ならボヤぐらいの出来事が、彼の手にかかると大火災になります。

それゆえに彼の音楽は「重い」。前任者のサヴァリッシュの音楽も重かったのですが、それは彼のテンポであったり音色が重いのであって、音楽自体は結構軽やかなものだと思います。エッシェンバッハの重さは「音楽自体の重さ」ですね。

聴き手としては、彼の音楽にいっさいの身をゆだねて振り回される感じが一番いいかと思います。そうしないと、彼が曲のいろいろなところにしこんだ仕掛けに出くわすたびに、冷めてしまうことになります。そもそも彼は大真面目なのですし。

というわけでドヴォルザークの第七番。
一楽章冒頭からして、これからとてつもないものが始まることを予感させます。そしてその予測どおり、これから一大叙事詩が始まるがごとくの一つ目のクライマックスをむかえます。そのままただならぬ気配のまま曲は進むのですが、ところどころででてくる管楽器の牧歌的なソロとのミスマッチがたまりません。そして曲は急展開。落しどころの見えぬまま、不安な感じを残しつつ一楽章は終わります。

二楽章は木管の緊張感のあるアンサンブルから始まります。ただこの楽章、フィラデルフィア管の木管奏者や弦の美しい音色を堪能することができるので、全曲のなかでオアシスのような存在でした。ただ、ホルンがでてくると急に音楽がデモーニッシュになります。

三楽章は一番ビックリしました。音楽が重過ぎて、ブルックナーのスケルツォみたいになってます。とにかく自分のかかわる音楽には内容を詰めて詰めて詰めこもうという、彼の音楽人としての矜持をみました。

四楽章になってもテンションは持続したまま。冒頭のトランペットの合いの手は最後の審判のよう。曲調は途中から次第に安らぎを感じさせるものとなるはずなのですが、エッシェンバッハのドボ7は深刻なまま。ここではきっとテンポを粘らせるだろうなーと思ったところは、期待通り粘ってくれます。圧巻は最後の最後。急ブレーキ→猛ダッシュ→急ブレーキ。ムチ打ちになるかと思いました。ここは楽譜どおりと言われればそうなのですが、とにかく何もかもが「過剰」。

以上、聴きおわったらクッタクタの40分でした。
この音楽のもつ「深刻さ」は、オーマンディにもムーティにもサヴァリッシュにもなかったものだと思います。今後、フィラデルフィア管がどうなっていくのか、本当に注目ですよ。

ちなみにこの演奏は4月にはインターネットでも聴くことができると思います。
日本の皆さんもぜひ聴いてください!
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by ring_taro | 2005-03-25 19:40 | クラシックの演奏会