アメリカはフィラデルフィアに住む“りんたろう”のブログ


by ring_taro
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ちょうどバランスがとれている感じ

フィラデルフィア管弦楽団室内楽演奏会 (Mar. 20, 05)
キメル・センター、ペレルマン・シアター

モーツァルト: ピアノと管楽器のための五重奏曲 K. 452
ベートーヴェン: 弦楽四重奏曲第16番 Op. 135
ポッパー: レクイエム
フォーレ: ピアノ三重奏曲

前回の室内楽演奏会に比べると、完成度がアレな曲が一曲もなく、大変高水準な演奏会でした。

今回の演奏会ではエッシェンバッハがピアニストとして登場。フィラデルフィア管が誇る管楽器の首席奏者たちと、モーツァルトの「ピアノと管楽器のための五重奏曲」を演奏しました。

この曲のメンバーは下記のとおり。

クリストフ・エッシェンバッハ: ピアノ
リカルド・モラレス: クラリネット
リチャード・ウッドハムズ: オーボエ
ダニエル・マツカワ: バスーン
デビット・ウェザリル: ホルン

曲の出だしからエッシェンバッハのピアノが重いし暗い。こんなピアノの音、ありえるのか。イメージとしては、曲がすすむにつれて音楽がどんどん沈みこむ感じ。この曲、こんなに重くて暗い音楽でしたっけ?

昨年同じホールでクリスティアン・ツィマーマンのピアノを聴いて、彼のピアノも相当重いものだったのですが、エッシェンバッハのそれとはかなり異質です。
ツィマーマンのピアノは確かに重いのだけれど、そこにすんごい磨きぬかれた音色が伴ったものでした。それに対して、エッシェンバッハのピアノは、なんていうかな、すべての音にいちいち影がさしている感じ。

そんなエッシェンバッハとは対照的に、クラのモラレスとオーボエのウッドハムズは重さや暗さとは無縁の音色。相変わらず音の一つ一つに羽がはえているような、軽やかで美しい音楽をつくっていきます。モーツァルトにはピッタリ。

そんな組み合わせではさぞやおかしな音楽が生まれてしまうかと思いきや、どっこいよくできたアンサンブルになってました。不思議なのですが、バランスが実によくとれていました。これが一流ということでしょうか。本当に不思議。

印象深かったのは、楽章のあいだ。
エッシェンバッハははやく次の楽章に入りたくて、鍵盤の上に手を置いているのに、ウッドハムズはのんきに羽根を使って楽器の掃除をはじめちゃうのです。エッシェンバッハはその作業をチラチラ見ながら、両手を膝の上に置いたりまた鍵盤の上に構えたりを繰り返して、明らかにイラついてました。

僕はエッシェンバッハの音楽にフィラデルフィアに来て確実にハマり始めているのですが、この楽章間でせかせかする癖だけは何とかならないかなー。
前にもちょっと書きましたが、悲愴の三楽章が終わった直後に拍手喝さいが起こってしまったときも、ほぼアタッカで四楽章を始めてしまいました。音楽台無し。音楽的な意味があるのでしょうが、もう少しこう、ゆとりが欲しいなーと思うことが結構多いのでした。

その後の三曲もとてもクオリティが高い演奏でした。

ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲は何度聴いても深い感動を覚えるし、ポッパーの三台のチェロとピアノのための「レクイエム」はとても美しい曲でした。

そしてフォーレ。
晩年のフォーレの音楽って、相当厳しい曲想の中でいつの間にか「詩情」だとか「やさしさ」だとかが浮かびあがってくる感じがたまらなく好きです。
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by ring_taro | 2005-03-29 20:21 | クラシックの演奏会