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アメリカはフィラデルフィアに住む“りんたろう”のブログ


by ring_taro
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なんと内容の濃いプログラム

フィラデルフィア管弦楽団演奏会 (May 10, 05)
キメル・センター、ボライゾン・ホール

マルチヌー: リディツェ追悼
クライン: 弦楽のためのパルティータ (ザウデク編)
ショスタコーヴィチ: ヴァイオリン協奏曲第一番
バルトーク: 管弦楽のための協奏曲

クリストフ・エッシェンバッハ: 指揮
ヴァディム・レーピン: ヴァイオリン

エッシェンバッハにとって第二次世界大戦というのは、相当に重要なものであるようです。彼がこの戦争をどのように体験したかは、彼のHPをご参照ください。昨年のシェーンベルクの「ワルシャワの生き残り」とブラームスのドイツ・レクイエムをぶっ続けでやった演奏会もすごかったけれど、この日のプログラムもすごかった。

ナチスにより焼き払われたチェコの村リディツェへのマルチヌーが書いた追悼曲、テレジン収容所で25歳で死んだクラインがその収容所の中で書いたパルティータ、ショスタコーヴィチが1947-48年に作曲ししばらく初演されなかった沈鬱なヴァイオリン協奏曲を経て、最後はバルトークがアメリカ亡命後1943年に作曲した管弦楽のためのコンチェルトというプログラム。ああ、重い、重すぎる。

ヴァイオリン協奏曲第一番はショスタコーヴィチの曲のなかでもおそらく最も暗いものの一つです。レーピンのヴァイオリンはやや線が細いのですが、ものすごい推進力でグイグイ音楽を引っ張っていきます。三楽章後半のカデンツァも息をのむほどの出来。エッシェンバッハ指揮のオーケストラも内容の濃いものでした。ここまで完璧なこの曲の演奏にはそうそうお目にかかれないのではないでしょうか。

休憩後はバルトーク。
セルやショルティの引き締まった演奏になれた耳で聴くと、その豊かな響きがまず印象に残ります。テンポも揺れる揺れる。エッシェンバッハのアプローチはとにかくシリアスなもの。この曲の一つの側面である諧謔味はどこかへ行ってしまいました。どこまでも深刻な音楽です。各奏者の名人芸ですこし救われる感じ。

特にクライマックスのショッキングなこと。。。
それまでみんなで楽しくワイワイやっていたら、突然に地面が割れてこの世の深淵が全てのものを飲み込んでしまったような衝撃です。あとに残された者は呆然と立ちすくむしかない。

ところでこの曲の四楽章でショスタコーヴィチの交響曲第七番の一楽章の有名な旋律が引用されているのですが、休憩前のショスタコーヴィチ自身のヴァイオリン協奏曲でもこのフレーズがちょこちょこっと顔を出します。ああ、こんなところでも繋がっているんだ。エッシェンバッハのプログラミングには感心しっぱなしです。


演奏会前にアナウンスがあったのですが、今回の演奏会からCDとしてリリースするためのライブ・レコーディングが始まりました。ものすごいマイクの数です。咳とかあんましないでねとお願いがあったのですが、まあ、皆さんゴホゴホするしモノは落とすし普段どおりでしたね。
バルトークの前にはエッシェンバッハ氏自らマイクを持って、「曲が終わった直後も音楽の一部です」とお願いしたのに、皆さんかまわず曲終わりとかぶせて拍手喝さいしているし。(まあ、こういうことをお願いするということも、ちょっと奇妙な感じはするのですが。)

この録音、使えるのかなあ。


ああ、それにしても重いプログラムだった。
by ring_taro | 2005-05-14 22:44 | クラシックの演奏会