人気ブログランキング | 話題のタグを見る

アメリカはフィラデルフィアに住む“りんたろう”のブログ


by ring_taro
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

ショスタコーヴィチの昂揚

フィラデルフィア管弦楽団演奏会 (Oct. 03, 06)
キメル・センター、ボライゾン・ホール

バッハ: ヴァイオリン協奏曲第二番
アサド: ヴァイオリン協奏曲
ショスタコーヴィチ: 交響曲第五番

クリストフ・エッシェンバッハ: 指揮
ナージャ・サレルノ=ソネンバーグ: ヴァイオリン

前回のラン・ランといい今回のナージャといい、エッシェンバッハは「やんちゃ系」ソリストがお好きなんでしょうか。

二年前にメンデルスゾーンをやった時にも思ったのですが、この人のヴァイオリンはできるだけ前の席で聴いた方がいいです。なんというか、彼女自身が一番心地よく聴こえる音量で弾いている感じなんですよね。僕は幸い前の方の席(あまりに前すぎてやっすい席)に座っていたので楽しめましたが、四階席とかちゃんと聴こえてるのかな。

それにしてもここまでバッハを自由に弾く人ってそうはいないでしょう。旋律は歪み、イントネーションは好き勝手に変え、カデンツはチャルダーシュみたいな感じにし、ところどころにグリッサンドを入れてきます。僕の隣に座っていた紳士なんて、ナージャがそんな「オカズ」を挟むたびに苦々しそうなうめき声をあげていました。

ただなあ。結果的に「ナージャらしさ」がでてるんじゃなくて、「ナージャらしさ」をだそうというのがアプローチの出発点になっている感じが否めないんですよね。面白いことはこのうえないんですけど。なにもバッハでやらなくてもなー、とは思っちゃうんですよね。

一番よかったのは二楽章。曲の真ん中に音楽のピークがしっかりと計画されていて、そこへ向かう求心力、そこから音楽が収束へ向かうはかなさが緊張感をもって演奏されていました。しかしこれはエッシェンバッハの功績だよなあ。

次のヴァイオリン協奏曲を作曲したクラリス・アサドはなんとあのギターデュオ「アサド兄弟」のセルジオさんの娘さんだそうです。1978年生まれって僕より年下かよ。

曲はいかにもブラジルの人の曲らしく熱さと気だるさが同居した雰囲気。それでいて現代音楽的なテイストも感じられるなかなか面白い曲です。それにしてもものすごく難しそうな曲なのに、ナージャのヴァイオリンはバッハよりもはるかに上手く感じられます。まあ、そういうものですか。バッハって難しいですよね。

さて、メインはショスタコーヴィチの五番。この有名曲は「ショスタコーヴィチまにあ」になればなるほど「好きじゃない」と言う人が多くなりますが、僕は大好き。特に一楽章と三楽章の冷たい美しさはちょっと他の曲では味わえないものです。

演奏前に「この曲はレコーディングするので物音を極力立てない努力をしてください」といういかにもアメリカらしいもってまわったアナウンスがありました。
そうかー、これCDになるかー。ちょっとすごいですよ、この演奏。ユニークさという意味では今までに出た三枚のCDとは比較にならないと思います。

とにかく一楽章から内容が濃いです。いくつかのエピソードが積み重なってシークエンスとなっているような曲想が特徴的なこの楽章ですが、すべての場面すべての音に意味を持たせるエッシェンバッハの手腕に感心します。美しく滑る弦にも、軋む木管にも、咆哮する金管にもすべて意味があるのです。この場面場面の正確を明確にするというエッシェンバッハの手法はショスタコーヴィチ(とそしてなによりマーラー!)だからこそ成功するという側面はあるのでしょう。曲によってはまとまりがなくなっちゃいますものね。

ただ、エッシェンバッハのアプローチはどこまでも音楽的なので、(ショスタコーヴィチ解釈に時に見受けられるうっとうしい)楽譜の外にある非音楽的なディスコースに寄りかかった解釈とは一線を介します。やっぱ、ショスタコーヴィチはこうでなきゃ。言語化されえない、そしてそれゆえに個人的にも普遍的にも同時になりうる悲/喜劇こそがショスタコーヴィチの最大の魅力だと思うわけですよ、僕は。(とまあ一生懸命言語化しようとしている自分が滑稽なのですが。)

二楽章はこれまたエッシェンバッハ名物の暗く重いスケルツォ。とにかくテンポが遅い。一歩一歩噛み締めるように進みます。しかしこの遅さ、CDで聴いたらどう思うのかな。でも、ライブで体感するテンポとCDで聴くテンポは全く違うものか。部屋で聴いたら案外普通に感じるのかも。あ、今の僕発言、なんかチェリビダッケみたい。逆チェリビダッケか。

三楽章は何パートにも分割された弦セクションが美しく、演奏によっては幾層に重ねられても失われない透明感がたまらなく素敵なのですが、この日の演奏は透明感よりも「うねり」を感じさせるものでした。例えるならば、一つ一つはか細い空気の流れが綾となりつむじ風になるような。そして有名なクライマックスの場面は実に劇的。

いよいよ四楽章。今、スコアが手元にないので確認できないのですが、遅めに始まりその後テンポがめまぐるしく変わるのは確かスコア通りなんですよね?聴いててクラクラしてしまいます。まあそこが楽譜通りとして、クライマックスの遅さは。。。何なんだろうあれは。どんどん遅くなって、最後には止まっちゃうんじゃないかというくらいでした。全弓で音を刻む弦、両手で叩くティンパニ、力尽きる金管。描かれたのは人類の夜明けか、絶望のもがきか。いや、そのような一切の言語化を拒む昂揚か。いやあ、腰を抜かしました。

ところで今シーズンから昨年度空席だったホルンの首席にジェニファー・モントーン(Jennifer Montone)という人が就いたのですが、この演奏会ではものすごくよかったです。昨年度から何度かのっていて、オープニングナイトでもチャイコフスキーを吹いていたのですが、正直言ってあまり好きではありませんでした。しかしこのショスタコーヴィチは完璧。圧倒的な存在感でした。
この人、就任にあたってちょっとしたセンセーションをおこしたのですが、それはまた別の機会に。
by ring_taro | 2006-10-06 16:15 | クラシックの演奏会