アメリカはフィラデルフィアに住む“りんたろう”のブログ


by ring_taro
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2005年 04月 17日 ( 2 )

ニューヨーク・フィルハーモニック演奏会 (Apr. 14, 05)
リンカーン・センター、エーブリー・フィッシャー・ホール

ペトラッシ: 死者の合唱
リスト: ファウスト交響曲

リッカルド・ムーティ: 指揮
トーマス・モーザー: テノール
ニューヨーク・コラール・アーティスツ: 男声合唱

この日は午前中にオープン・リハーサルもあったので、それも見学してきました。すごく行ってよかったです。ムーティのことも、ファウスト交響曲のことも、より詳しく知ることができました。

一曲目のペトラッシ作曲「死者の合唱」が始まる前に、ムーティはマイクを使ってアナウンスをしました。この曲が作られた1941年という時代のイタリアについて、この曲を「今」演奏することの意味について。そして曲が終わっても拍手をしないで欲しいというお願いがありました。

この曲は三台のピアノ、金管、低弦、打楽器、そして男声合唱というすこし変わった編成の曲です。居心地の良さと悪さが共存するような不思議な曲でした。それは「死の安寧と理不尽さ」という歌詞の内容と密接に結びついたものだったのでしょう。ただ重苦しいだけでなく、どこかに諧謔味のある音楽です。

しかしこの曲の終わりに大変ショッキングなことがありました。音楽が静かに終わろうとしたまさにそのとき、ノーテンキな携帯の着信音が!コンサート・ホールに鳴り響く携帯の音は数多く聞いてきましたが、この日のそれほど凶悪なものは聴いたことがありません。

拍手をしないでほしいとお願いしたら、その代わりに着信音。
ああ、惨すぎる・・・。

ムーティは動じる気配も無くスッと舞台から引き上げていきましたが、残された奏者と観客の居心地の悪さ、気まずさといったらそれはもう・・・。ああ、思い出しただけで胃が痛くなる。

さあっ。き、気を取り直して後半のファウスト交響曲だっ。
大曲だぞー。

ところでムーティのリハーサルですが、曲の要所での「キメ」の部分を確認する以外は、ほとんどがフレージングやメロディの歌わせ方に関するものばかりでした。

このムーティの「うた」への執着はすさまじいものがありました。最後のリハーサルということもあって、前プロのペトラッシは流しただけで終わりましたが、リストはこだわりにこだわりぬいたリハーサルでした。

特に第二楽章「グレートヒェン」のリハーサルでは、ムーティ自身が朗々とすばらしい声で歌いながら、内声部にまで執拗にカンタービレを要求していました。
そして本番では20分以上にわたり、オーケストラが歌いっぱなし。ここまで全てのパートが歌いきったオーケストラの演奏というものは聴いたことがありません。一音たりとも歌いそこねてなるものかといわんばかりのオーケストラの入れ込みよう。呼吸をするのも思わず忘れてしまうような美しい音楽でした。
うおー、こんなにすばらしい曲だったのか、ファウスト交響曲って。

三楽章のリハーサルでは一転、ビートの維持に神経を注いでいました。ムーティはオーケストラがビートに乗り切れていないと感じているらしく、何度も止めては注意します。特に楽章の真ん中あたりでフーガっぽい展開になるところの頭のヴィオラと2ndヴァイオリンが気に入らないらしく、延々とパート弾きをさせ続けます。おーい、夜には本番だよなーなんて不安になったものでした。

ムーティの説明したところによると(声を全て聞き取れたわけではないので、ジャスチャーなどで判断するに)、ビートの維持はその先にある音楽の「解放」のためのもののようです。我慢に我慢を重ねて音楽を維持してエネルギーを溜めることによって、クライマックスで一層のカタルシスを得ることができる。そんなことを説明していました。

(すいません、「解放」というのは僕の言葉です。上手く説明できませんが、単純に言ってしまえば、一番盛り上がったところの「ジャーン!!」って感じの部分のことです。)

このことが僕のムーティの音楽に対する理解をより深めてくれたような気がします。
というのは、僕は以前からムーティの音楽で気になることとして、弱音があまりに弱すぎるというものがあったのです。静かな部分で音をあまりに小さくしすぎて、音楽を窒息させている。そんなふうに感じることがしばしばありました。
しかしこの日のリハーサルを聴いてわかりました。その後の音楽の「解放」のためだったんですね。この日の演奏でもそれはもう限界まで音を小さくさせていた部分が多々ありましたが、それが刹那的なものではなく、音楽の流れに則した必然性のあるものだと気がついたら、ムーティの音楽をより楽しむことができました。

合唱とテノールのソリストは三楽章途中から入場。これまでの70分はこのためにあったのだと思わせるような感動的なクライマックスをつくりあげていました。

ムーティの「うた」への執念、音楽に対する真摯な姿勢に心を打たれた演奏会でした。

ああ、また一人、「首ったけ」な指揮者ができてしまった・・・。
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by ring_taro | 2005-04-17 07:14 | クラシックの演奏会
スティーブン・イッサーリス、スティーブン・ハフ演奏会 (Apr. 13, 05)
キメル・センター、ペレルマン・シアター

ヨハン・フンメル: 変奏曲ニ短調
スーク: バラードとセレナーデ
ブラームス: チェロ・ソナタホ短調 Op. 38
マルチヌー: スロヴァキアの主題による変奏曲
ブラームス: チェロ・ソナタヘ長調Op. 99

スティーブン・イッサーリス: チェロ
スティーブン・ハフ: ピアノ

フィラデルフィアでイッサーリスを聴くのは昨年9月のフィラデルフィア室内管弦楽団の演奏会以来二回目です。あの時はショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第一番だったのですが、雄弁で深い音に感動したものでした。(ホルンも実にすばらしかったです。)

この日のブラームスは、あのショスタコーヴィチに比べると、より丁寧で内省的な演奏だったと思います。僕はそういうブラームスの方が断然好き。ホ短調の方のチェロ・ソナタで、なんか感情むき出しの始まり方とかされるとゲンナリしますもん。(だれのCDかはあえて言いませんが。)

ハフのピアノはイッサーリスに比べるとちょっと表現主義的。ただ、二人の息が実に合っているため、それほど違和感がありませんでした。
ところでよく考えたらこの人、マゼール/ニューヨーク・フィルがフィラデルフィアに来たときにやったラフマニノフのソリストでした。あまり記憶に無いんだけど・・・。

アンコールはそのハフが作曲した、イッサーリスの娘さん(いや、息子さんだっけかな?)にささげた小品。きれいな曲でした。
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by ring_taro | 2005-04-17 03:29 | クラシックの演奏会