アメリカはフィラデルフィアに住む“りんたろう”のブログ


by ring_taro
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チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(Feb. 09, 08)b0044005_1292541.jpg
ルドルフィヌム、ドヴォルザーク・ホール

ブラームス:交響曲第四番
ドヴォルザーク:交響曲第九番「新世界より」

小林研一郎:指揮

今回のヨーロッパ滞在中、オーケストラのコンサートはチェコ・フィルとウィーン・フィルを聴いたのですが、ローカリズムの象徴のような二つのオケを続けざまに聴くことが出来たのはいい経験でした。

それにしてもチェコ・フィルのチケットは安いです。今回一番いい席で聴いたのですが、600コルナ、日本円で4000円程度でした。

しかし、まるで日フィルの名曲コンサートのようなプログラミングですねー。チラシまで容易に想像がついちゃいます。
プラハに到着した翌日の演奏会だったので、集中力が持つのかとても不安だったのですが、ものすごい面白いコンサートでした。特にブラームスにはとても感銘を受けました。

一楽章の冒頭から、今まで聴いたことのない弦の響き。その分厚いのに重苦しくない渋ーい音色に心奪われました。小林先生の演奏会は久しぶりでしたが、相変わらずよく考え抜かれ、そして新鮮な指揮ぶりでした。一楽章の最後、止まってしまうのではないかと心配になるほどテンポを落とし、すごい迫力で楽章を締めくくります。

続く楽章も充実した弦の響きを主体に音楽が進むのですが、そのなかでクラリネットの音がとても特徴的でした。何でしょう、あの音色は。他のオケでは一切聴いたことのない音色なのですが、本当にあれはクラリネットでしょうか?フルートとソプラノサックスを合わせたような音色です。終楽章も一楽章と同様にとても遅いテンポで堂々と締めくくります。

「新世界」も素晴らしいものでしたが、こちらはどうも指揮者とオーケストラでやりたいことにズレがあるような感じで、多少不安定な印象は否めない演奏でした。急にアッチェレランドがかかり始めたかと思いきやガクンとテンポが戻るといった場面がいくつか見受けられました。

この曲に限り、トランペットの往年の首席奏者の方が特別にファーストに復帰していたそうですが、まあその音のでかいことでかいこと。全てB管で吹ききったようですが、その存在感はすさまじいものがありました。ちなみに現在のホルンの首席の方は20代のとても若い方です。チェコからはホルンの名手が無尽蔵に出てきますね。

新世界の終楽章は、ブラームスとは一転して、急激なアッチェレランドで終わりました。曲によって指揮ぶりを効果的に変えていく手腕はさすがです。

巷では「炎のコバケン」と呼ばれ、感情に流されるままの指揮をすると思われがちですが、実はとても考え抜かれ統制された音楽をつくりあげる指揮者だと思います。今回の演奏会でそのことを再認識しました。

実は一度だけ小林先生の指揮で演奏をしたことがあります。そのときリハーサルで色々と教えていただいたのですが、一番印象に残ったお言葉に以下のようなものがあります。

「クレッシェンドって、なんだと思いますか?
 クレッシェンドとは、『我慢』なのです。」

クレッシェンドの記号を見るなり途端に盛り上がってしまうアマチュア・オーケストラ(確か曲はエグモント序曲だったと思います)を諌めてのお言葉でした。大きな音で思うまま弾きたい吹きたいという欲求をグッと抑えて終着点まで統制のとれたクレッシェンドを作り上げる、それが大切なんだということを教えてくださいました。今でも演奏中にクレッシェンド記号を見ると、そのことを思い出します。
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# by ring_taro | 2008-03-09 12:14 | クラシックの演奏会
日本に帰ってまいりました。
現地で聴いたいくつかの演奏会について、今後ゆっくりと書いていこうと思います。
(写真はプラハの「芸術家の家」と向きあうドヴォルザーク先生。)
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# by ring_taro | 2008-02-21 22:04 | ひとりごと

プラハにいます

b0044005_0503539.jpg いま、プラハにいます。












飛行機が到着するや否や『モルダウ』が流れてきて、おお、本当にスメタナは国民的作曲家なのだなと痛感しました。
また、近いうちに投稿します。
(写真はヴルタヴァ川を眺めるスメタナ先生。)
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# by ring_taro | 2008-02-10 00:55 | ひとりごと

ゲルギエフ再考

ウィーンでゲルギエフの指揮する『悲愴』を聴く予定なので、今自宅で同じコンビのCDを聴いています。

正直申し上げまして、ゲルギエフには若干の苦手意識があります。(「嫌い」というわけではないのですが。)あらゆる音楽を格調高く仕上げるその手腕は素直に感動するのですが、そのあまりに「出来上がった」音楽にたじろいでしまうのです。その思いはかつてカーネギーホールで聴いたキーロフ・オーケストラとのプロコフィエフの交響曲についての記事に詳しく書きました。(やっぱり、演奏会の感想を書き留めておくのは良いですねー。)ちょっと抜粋させていただきますと、

「音楽的なるもの」への強烈な意志。どんなにとんがった曲でも、とっちらかった曲でも、ひとつの「音楽」へとつくりあげていく手腕こそが、ゲルギエフ最大の魅力

なんて書いてありました。なので、現在出ているCDではプロコフィエフの交響曲全集、そのなかでも特に二〜四番が圧倒的に好きです。その反面、ショスタコーヴィチの録音はとても物足りなく感じました。この違いは何なのか、プロコフィエフとショスタコーヴィチとの本質的な違いがそこから見えてくるのではないかと考えたりします。そういえばいずれの交響曲でも優れた録音を残しているのはネーメ・ヤルヴィくらいではないでしょうか?

閑話休題。
このウィーン・フィルとの『悲愴』も、とても音楽的で格調高い演奏です。弦は艶やかで、金管の「9割がたの強奏」はまとまって美しく、非の打ち所のないものです。特にあまりに完璧な三楽章から若干の揺らぎを見せる四楽章への流れはすばらしいです。

ただ、聴き終わった後、同じオケを振ったマゼールの旧盤が聴きたくなってしまうのです。それがたとえ、オケが硬く、この時代のデッカ特有のギラギラした録音で、演奏は表面的でせっかちでまとまりを欠くものだったとしても。
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# by ring_taro | 2008-02-07 20:48 | 音楽全般

お久しぶりです

お久しぶりです。恥ずかしながらかえってまいりました。
一年半以上も更新していなかったのか。。。よく残ってたな、このブログ。

この間、色々とありました。フィラデルフィアから東京へと帰ってきたり、新しい仕事が始まったり、結婚したり。
目下東京在住なので、このブログで更新することもあまり思いつかないのですが、明日からプラハとウィーンに出かけて色々と演奏会に行く予定なので、とりあえずそれを書き留めるために戻ってきました。

なるべくこまめに更新しようと思います。
それでは!
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# by ring_taro | 2008-02-07 19:59 | ひとりごと
リッカルド・ムーティが今週末のフィラデルフィア管の演奏会の指揮をキャンセルしました。インフルエンザのためだそうで、ここのところずっと体調が良くなかったようです。

代役はネーメ・ヤルヴィ。お父さんの方のヤルヴィですね。

プログラムも変更があり、ヒンデミットの「気高き幻想」が「ウェーバーの主題による交響的変容」になります。

ヤルヴィはすごく好きな指揮者です。
でもでも。。。すごく残念。

追記
来週火曜の特別コンサートもキャンセルされました。
こちらは指揮者変更ではなく演奏会自体がキャンセル。
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# by ring_taro | 2006-11-01 03:07 | フィラデルフィア管弦楽団

くたばれユニオン!

そういえばこちらの演奏家評が途中だったことを思い出しました。このタイミングで続きを書くのをちょっとためらいもするのですが。。。


10月7日の演奏会、後半の悲愴については書きましたが、前半のアンドレ・ワッツ独奏のブラームスのピアノ協奏曲第二番についてはまだでしたね。

ワッツのピアノがものすごくよかったです。昨年ベートーヴェンの「皇帝」を聴いた時にはもっと「力づく」な印象だったのですが、この日のブラームスは実に風格あるものでした。力強いピアノを弾く人ですが、一音一音の音をたたせるというよりは、音の塊がグワーっと押し寄せるような感じですよね。(なので昔から彼のベートーヴェンの「月光」の三楽章が大好きです。)

一番よかったのは二楽章でしょうか。エッシェンバッハの凝縮されたオーケストラ・サウンドにワッツが挑みかかってくる感じがたまりません。そしてそれゆえに中間部の解放感が引き立ちます。三楽章も実に美しかったです。このオケの新たなチェロの首席奏者ハイ=イェ・ニのソロも太く暖かい音でとてもよかったです。

そういえばこの曲はどこかで読んだ吉田秀和氏の文章のおかげで理解が深まった覚えがあります。確かアラウ/ジュリーニのレコードを誉めて「四楽章はブラームスの南への、イタリアへのあこがれなのだ」と書かれていたのだと思います。そういれれば、第二主題とかカンツォーネっぽく聴こえてきたりします。(この日のプログラムには「ハンガリー舞曲風」って書かれてましたけど。)そう考えると四楽章の突然の明るさがわかるような気がしませんか?


ところでこのプログラムのオープンリハーサルに行った時にとてもびっくりすることが起こりました。

リハーサルは10時半から1時までで、悲愴→ブラームスの順番でした。で、以前書いたようにエッシェンバッハはドレスリハーサルにも関わらずものすごい綿密なプローベをしていたわけです。当然時間はかかります。

そして悲愴が終わり、ワッツとのブラームス。通しただけでも明らかに1時までには終わらない、どうするんだろうと思っていました。で、四楽章の途中で1時になったわけですけど、舞台袖から人がでてきてリハーサルをブチって止めてしまいました。オーケストラのメンバーは楽器を片付けて引き上げてしまいました。後に残されたのは音抜きで打ち合わせをするワッツとエッシェンバッハとその助手の方。

一緒に聴いていた人たち(まあ、オープンリハーサルに来るのは95パーセントはおじいちゃんおばあちゃんです)はものすごい怒っていました。隣のおばあちゃんなんて"F××k the Union!"なんて叫んだりして。

つまりオーケストラの組合との規定で、リハーサル時間が一分でも超えると追加のギャラが発生するので、オーケストラ側としてはリハーサルを止めざるを得ないということのようです。それにしても、ねえ。。。ワッツは四楽章の後半を一度もあわせないまま本番に挑むということでしょうか?オーケストラの団員は音楽家であると同時に労働者でもあるということなのでしょう。


なんか最近このオーケストラのネガティブキャンペーンをはっているような体になってしまいましたが、それは全くもって僕の本意ではありません。次回からはちゃんと(なるべく)音楽を聴く喜びを書いていこうと思います。

ところでワッツさん、リハーサルでオーケストラパートのみになる度に、手ものとスコアをパラパラめくっては次の自分のソロを確認するということを繰り返してて面白かったな。
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# by ring_taro | 2006-10-28 23:39 | クラシックの演奏会
またまたご無沙汰してしまいました。

今日は最近のフィラデルフィア・インクワイヤラー紙のエッシェンバッハに関する記事を見てみます。(記事の面白そうな部分をピックアップするという、本当は一番やってはいけないことをやっちゃいます。)

まずは10月21日の記事から。

現在、エッシェンバッハ氏はパリの自宅にいるが、いまだ直接マスコミには語っていない。スポークスウーマンを通して契約の延長をしない理由を、音楽監督に就任した時に設定した目標を達成したからだとコメントした。

「クリストフはとても個人的な人間です。とても繊細な人間です。私たちはとても広範囲にわたる話し合いをし、その結果このような決定をしました。」(フィラデルフィア管のプレジデント、ジェームズ・アンダーコフラー氏談)

エッシェンバッハとこのオケはこの三年間でいくつかのの素晴らしい演奏をしたが、それより頻繁に彼のリハーサルと本番は団員からの苦情をよぶことになった。本番中スコアを見失ったり、まとまりのないリハーサルをした挙げ句に時間の延長を要求したり、テンポの奇妙な加速減速を主張したり。

この契約延長をしない旨の報告を昨日のウンジャンとのリハーサル時に聞いた団員は一様に静かであったという。多くの団員はエッシェンバッハは引き続きこのオーケストラに留まるものだと考えていた。

指揮者のスケジュールというものは数年先まで決まっているものであるから、少なくとも2008-09シーズンは音楽監督なしでやることになる。まだ後任探しは始まっていないとのこと。

(Peter Dobrin, "Eschenbach to bow out in 2008: Music director will leave after 5 years with orchestra," Philadelphia Inquirer, October 21, 2006.)

次は翌日の10月22日の記事から。「苦難の時期は終わった」なんてびっくりするような書き出しで始まります。特に後任に関する記述の部分を見てみましょう。

後任探しは難航するだろうが、こういうものは天からの気まぐれな授かり物的な要素がある。例えばベルナルド・ハイティンクは思いのほか早くドレスデンを離れたが、その結果首席指揮者としてシカゴ響と多くの時間を割くことが出来た。リッカルド・ムーティは昨年スカラ座を追われたが、その空いたスケジュールをフィラデルフィアに使うことが出来る。

サイモン・ラトルは90年代の終わりにこのオケからの音楽監督就任のオファーを断っているが、彼のベルリンでの評判はフィラデルフィアのエッシェンバッハと同じく賛否の分かれるものとなっている。それに今年始めに客演した時の彼とフィラデルフィア管との演奏は今までで最高のものだった。

オーケストラとこの街の人々はウラジミール・ユロフスキがブラームスやベートーヴェンをどのように振るのか大変関心がある。彼はもっぱらロシアものばかり取りあげ、その他のものはあまり取りあげる気がないようだ。

ワレリー・ゲルギエフは彼の過密気味のスケジュールにどれだけ予定を詰め込めるか楽しんでいるかのようだ。フィラデルフィアは彼がちょっとだけ立ち寄る場所以上の街になりたいと望んでいる。

シャルル・デュトワのスケジュール帳には、もはやモントリール響の名前はない。彼の毎年の客演は何かを期待させられる。しかし彼は「新鮮な血」とはなりえない。

後任探しにおいてエッシェンバッハのこの街の離れ方は汚点となるだろう。このオケは新たな指揮者泣かせのオーケストラ(the conductor-eating orchestra)としてその名を轟かせることになるかもしれない。

いずれにせよ、フィラデルフィアが求めているのは強いリーダーシップだ。エッシェンバッハが音楽監督に決まる前、このオケは複数の指揮者でやりくりすることを検討していた。例えばアトランタ響(スパノとラニクルズ)やピッツバーグ響(アンドリュー・デイヴィスとトルトゥリエとヤノフスキ)のように。

しかしそれらのオケはビッグ・ファイブではない。フィラデルフィア管のようなオケではキャリア的に失うものがない団員たちにビジョンを示すことが出来るリーダーシップがしばしば求められる。

クルト・マズアはズビン・メータとの悲惨な時期を経たニューヨーク・フィルをどのようにしてそんなに素晴らしい演奏ができるまでにしたのかと聞かれてこう答えた。「こう言ったんだ。私のためにやるのがイヤなら帰りますよってね。」
聞いたかい、フィラデルフィア?

(David Patrick, "Minus a maestro: Long finale may be building," Philadelphia Inquirer, October 22, 2006.)

と、ここまで書いてですね、「南イタリアの申し子」さんが同じ新聞記事を僕なんかよりもっと美しい言葉で扱ってらっしゃることに気がつきました。あれですね、言語能力(日本語も英語も)にいかんともしがたい差がありますね。ここまで読んでいただいてなんですが、こんな駄文を読むよりそちらを読んでくださいませ。ここから先はあまり愉快なことは書いてありませんし。
すいませんでした。



以下、記事を読んでのとても個人的な感想。

最近、インクワイヤラー紙を読んでいると驚きあきれることばかりです。

指揮者と団員との間に緊張があったのは間違いないでしょう。でもエッシェンバッハが多くを語らないからといって団員側の話だけ聞いて記事書いちゃったりするのはどうなんですか。

まだ後任選びが始まっていない段階で出てくる名前にたいした意味はないのはわかります。今年と来年に客演する指揮者をちょっとピックアップしてみただけのことでしょう。でもそれにしたって、でてくる名前がトンデモすぎませんか。ムーティが戻ってくるなんてことあるでしょうか。ベルリン・フィルの音楽監督を辞した人間がアメリカのオケの音楽監督になるものでしょうか。どちらも似たようなケースが過去あるでしょうか。(あ、フルトヴェングラーがシカゴ響の音楽監督になりそうになったんでしたっけ?)ゲルギエフが仮に音楽監督になったとしてですよ、フィラデルフィアに多くの時間を割いてくれると思いますか。

「それらのオケはビッグ・ファイブではない」のくだりは読んでて本当につらくなりました。でもこの街の人にとって、ビッグ・ファイブとそれ以外のオケとの「格の違い」というのは厳然として存在するもののようです。

演奏会場で隣に座った人とかと話してて実感するのですが、この国のクラシック音楽を聴きにくる人たちってコンサートに行く前に新聞の演奏会評を読んで来たり、行ってもいないのに記事を読んでなんか聴いた気分になったりってのが相当多いんですよ。で、フィラデルフィアにクラシックの演奏会評が載るような新聞なんて一紙しかないわけですよ。恐ろしいことだと思います。アメリカのオケで上手くやっていくには、新聞を敵にまわさないこと。情報が団員を通して流れるので、そういう意味でも団員と上手くやっていくこと。大変な国ですね。

駄文、失礼いたしました。
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# by ring_taro | 2006-10-27 18:50 | フィラデルフィア管弦楽団

新聞買ってきました

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普段、フィラデルフィア管のことなんか全然取りあげないデイリー・ニュース(右)もこの扱い。
後でちゃんと読んでまた投稿します。

後任候補の話題でインクワイヤラー紙(左)が言及している名前

ラトル、ユロフスキ、ゲルギエフ、デュトワ

目を覚ませええええええ!!
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# by ring_taro | 2006-10-22 03:54 | フィラデルフィア管弦楽団

「受け入れがたい決定」

昨日のお話の続き。

メールの一部を訳してみますと、

彼のこの決意は私たちフィラデルフィア管にとっては受け入れがたいものです。卓越した音楽家であるマエストロ・エッシェンバッハは私たちと素晴らしいことをやってきました。私たちを楽しませてくれた多くのエキサイティングなコンサートに加え、革新的なレコーディングの契約を結ぶ手助けをし、世界中へ素晴らしいツアーに率い、基金の拡充やコミュニティへの深い関わりなど、多くの貢献をしてくださいました。マエストロが11月にフィラデルフィアに戻ってきた時に、皆様が私たちの彼に対するサポートとリスペクトと賞賛を共有していただくよう、なにとぞよろしくお願いします。

あいかわらずの超訳っぷり、ご容赦ください。

オーケストラのショックっぷりがわかります。
(まあ、これが単なるポーズである可能性はあるわけですが。)

新聞のバックナンバーをチェックしたのですが、まだこのことについてはふれられていないです。今日のやつ(土曜版)に載っているのでしょう。久しぶりに新聞買ってみようかな。

Philadelphia Inquirer紙の9月24日の記事では、エッシェンバッハの契約更新の時期が近づいているので「なんとか彼をつなぎ止めておくように」と書いてありました。懸念は現実のものとなったのですね。まあこの新聞らしく、あいかわらず彼のフィラデルフィア管に全力を注いでくれない姿勢を非難はしているのですが。

これ、面白い記事だな。また機会があったら紹介します。クーベリック/シカゴ響やミトロプーロス/ニューヨーク・フィルのような「今となっては理解しがたい」ケンカ別れと比較したりとかして。



さて、最後にこっそりと個人的な次期音楽監督の予想を書いてみます。
(実現の可能性や現実味についてはあまり考慮してません。最近のアメリカ・オーケストラ業界をちゃんと把握しているわけではありませんし。完全な自己満足です。だから怒らないでね。)

とにかく大事なのはこのオケの下がりきった技術的水準を叩き直しつつ、魅力的な音楽づくりをできる人であることだと思うんですよ。

デイヴィット・ロバートソン:個人的な大本命。「アメリカの希望」。セントルイス響の音楽監督に就任したばかり。シカゴもニューヨークも狙う逸材。彼を手に入れたらフィラデルフィア管にまた黄金時代が訪れる。
ヤコフ・クライツベルク:去年客演したときにそれはそれは素晴らしいショスタコーヴィチを聴かせてくれた。その音楽は鋭利で明晰。来年三月にも客演。
ピーター・ウンジャン:夏のモーツァルト・フェスティバルを率いたり、毎年のように定演に登場する。実は一番可能性が高いかも?明快な音楽づくりながらも、スケールが小さくその音楽に「魔力」はない。小物感はぬぐい去れない。今週から二週にわたり客演。
ジェームズ・コンロン:結構頻繁にこのオケを振っている。昨年度もサヴァリッシュの代役を務めました。キャリア的にお互いにとって申し分ない?来年一月にも客演。
シャルル・デュトワ:このオケのサラトガ・シーズンの音楽監督。定演にも毎年登場。しかも何週にもわたって。十分な実績。ただしいかんせん高齢。個人的にこのコンビは相性が悪いと思う。結構、音楽づくりがユルい。来年三月に客演。
ヴラジミール・ユロフスキー:最近よく客演するロシアの俊英。来年二月にも客演。
ロセン・ミラノフ:現在の副指揮者。
リッカルド・ムーティ:11月に定期演奏会に帰ってくる!まあ、ないな。。。
ロリン・マゼール:まあ、ないな。。。
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# by ring_taro | 2006-10-21 21:46 | フィラデルフィア管弦楽団