
ながらく更新を怠ってしまいました。
多くの方に不義理をしてしまいました。申し訳ございません。
ここ一週間のあいだ、ワシントンDCだのシカゴだのに行っていたのです。
シカゴではシカゴ響を聴いてきました。
この演奏会に関しては、後ほど書きます。
ところで移動中の飛行機で、しばらく前に買ったままだった村上春樹の『海辺のカフカ』を読んでいました。そしてそこで書かれていたシューベルトのことを考えていました。
この小説のなかで、登場人物の一人がシューベルトのニ長調ソナタについて、ブレンデルとアシュケナージの演奏を個人的にあまり愛好しない、なぜならシューベルトというのは「ものごとのありかたに挑んで敗れるための音楽」だからだと言っています。
そういうものかなと飛行機の座席で思いました。
あまり同意する人は少ないかもしれませんが、僕はブレンデルのシューベルトが大好きなのです。そしてもっと同意する人は少ないかもしれませんが、僕はブレンデルのピアノの最大の魅力は、その研ぎ澄まされた美意識だと思うのです。青白い炎のようなシューベルト。
ただ、そのとき無性に聴きたくなったのは、ルドルフ・ぜルキンのものでした。
アパートに帰ってさっそくゼルキンのニ長調ソナタを聴いてみます。なんという強靭なタッチ。なんという強い意志。自分の進むべき道にすこしも迷いのないピアノ。
それは「逍遥」に例えられるシューベルトの音楽からすれば、かなり異質なものかもしれません。ゼルキンもそれはわかっていたのかも。しかし彼には「これ」しかないのです。
そこで僕は「ものごとのありかたに挑んで敗れるための音楽」の意味がちょっとわかったような気がしました。
(写真はシカゴ交響楽団の本拠地、セオドア・トーマス・オーケストラ・ホール。フツーのビルに見えます。)