アメリカはフィラデルフィアに住む“りんたろう”のブログ


by ring_taro
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フィラデルフィア管弦楽団演奏会 (Mar. 25-26, 05)
キメル・センター、ボライゾン・ホール

ドヴォルザーク: 水の精
バーバー: ヴァイオリン協奏曲
ショスタコーヴィチ: 交響曲第六番

ヤコフ・クライツベルク: 指揮
ヒラリー・ハン: ヴァイオリン

これは実に素晴らしいコンサートでした。
どれくらい素晴らしかったかって、あまりの素晴らしさに次の日にもう一回聴きに行ったくらいです。(まあ、一日目は8ドルしか払ってないのですが。)

バーバーのヴァイオリン協奏曲は序奏なしにヴァイオリンのソロから始まります。この構えた感じの無さがいいですね。実に軽やかな音楽です。

ヒラリー・ハンの魅力もその軽やかさにあると思います。なのでバーバーはぴったりなわけです。一楽章が始まったとたん、屋内なのにさわやかな風が吹いてきたような錯覚にとらわれました。

ハンは自分が弾かない部分はよくオーケストラが演奏しているのをぐるっと見回すのですが、一緒に聴きに行った人が「まるで草原のなかに立っているみたい」と言っていました。うまいこと言いますね。なるほど、草原にたたずみ風を歌を聴いているようです。

二楽章はオーボエの長いソロから始まるのですが、このピーター・スミスのソロがまた良かったです。この人のオーボエはウッドハムズのそれに比べと、実に硬ーい音でそれが時に不満なのですが、この曲にはとても合っていました。(ああ、でもウッドハムズの音でも聴きたかったかも。。。)
三楽章は一転、技巧的な音楽。ハンは完璧に弾ききりました。お客さんは大喝采。

軽やかで屈託の無いヴァイオリン。それがハンの魅力だと思います。アンコールで弾いたバッハの無伴奏など結構ロマンチックな演奏だったのですが、それでも決して重くならず、じめっとせず。

ああ、よかったなー。実にさわやかな気分になりました。
あ、でもこのあとショス6かー。。。

と休憩時間にちょっとテンションが下がりましたがとんでもない、後半のショスタコーヴィチはバーバーを上回るすさまじい演奏でした。

ここまで鳴り切ったフィラデルフィア管を聴いたのは初めてです。オーケストラのテンションがすごいすごい。どれくらいすごかったかというと、クライマックスでコンサートマスターの弦が一本ブチッて切れました。とにかくオケが入れこんでいました。

ハンと同様、指揮者クライツベルクの音楽も結構「軽め」です。速いテンポできびきび進めます。ショスタコの音楽にドロッとしたものとか、ネトッとしたものを期待する人が聴いたら少し不満が残る演奏かもしれません。(特に一楽章。)
しかしオーケストラを操るのがすごくうまいのでしょう。迫力のある音や魅力的な音を適所で鳴らし、そして曲全体を見渡すヴィジョンがあります。

とにかくオケがうまかった。(今更フィラデルフィア管に対して失礼なもの言いなのですが。)
Esクラリネットはサミュエル・カヴィーゼルだったと思いますが、主席モラレスの陰に隠れがちなこの副主席奏者は、今回は完全に主役の座を奪っていました。コンマスのデビット・キムの三楽章のソロも見事。このソロが曲全体のクライマックスへの合図となるのですが、キムを先頭にオケ全体が「それっ」と疾走し始める様は爽快でした。

しかしすごい曲ですねえ。聴きながら危うく取り乱しそうになりました。
こういう素晴らしい演奏を聴くと、もう悪魔がつくった曲としか思えない。

お客さんは大喜び。演奏終了後も興奮冷めやらず、いたるところで「素晴らしい指揮者だ」「また来てくれないものか」といった声が聞こえました。
フィラデルフィア管とはつながりが深い指揮者のようですので(2003年の全米ツアーに帯同したそうです)、また近いうちにこのコンビで聴けることを期待しています。



ちなみにこのコンサートでは久しぶりに弦の並びが

1st Vn, 2nd Vn, Va, Vc

という元のシフトに戻っていました。
しつこいようですが、僕はフィラデルフィア管に関してはこの並びが断然好き!
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by ring_taro | 2005-03-31 20:59 | クラシックの演奏会
僕は部屋にいるときはたいていMTVとかをつけっぱなしにしているのですが、かなりのヘビー・ロー・テーションでかかっているバンドがあります。ちょっと鼻にかかった無機質なような暖かいような不思議な歌声、親しみやすいメロディ、軽快なサウンド。かなり気になる音楽だったのでバンド名をチェックしたらMaroon 5という名前でした。

最近の洋楽にはとんと疎くなってしまっているのですが、最近とても人気のあるバンドのようですね。今更「最近気になるバンドがいてさあ」なんて、相当遅かったようです。(ちなみに先のグラミー賞でBest New Artistになりました。)
ああ、レコード芸術もスイング・ジャーナルもロッキン・オンも無い生活。洋楽に関していえば、情報交換をする友人すら周りにいない生活。

相当気になったので、アルバム"Songs about Jane"を買ったら、ものすごく良かったです。しかも現在全米をツアー中とのこと。これは行かねばならん。

というわけで4月1日、Liacouras Center(テンプル大学のキャンパス内にある、主にバスケットのゲームなどを行なう会場)に行ってきます。チケットはインターネットでは並び席が買えない状況でしたが、ダメもとで会場に直接行ってみたらアリーナ席が買えました。

あ、そういえばこの日はマチネーでフィラデルフィア管の演奏会があったんだ。
なかなか重い一日になりそうです。
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by ring_taro | 2005-03-30 18:05 | 音楽全般
僕がいたく感動したエッシェンバッハ指揮のドヴォルザークの7番が、The Philadelphia Inquirer紙にものすごくコキおろされていました。("Eschenbach Tries to Plow His Predecessor's Field," March 12, 2005)

音楽評論家ピーター・ドブリン氏によるこの日の演奏会評の要点は下記の二つ。

①音楽監督に就任して一年半のあいだ、なぜ前任者サヴァリッシュのレパートリーばかりをとりあげるのか。ブラームスやリヒャルト・シュトラウスでサヴァリッシュ以上のものができると思っているのか。この日のスメタナやドヴォルザークだってそうだ。サヴァリッシュによる「炎とベルベットを凝縮させたような音楽(a cohesive package of fire and velvet)」に比べると、なんと眠たく啓示の無い音楽であることか。

②エッシェンバッハは確かにクライマックスをつくりあげるのはうまい。しかし曲の最初から最後までをつらぬく内なるビート(a inner beat)を感じさせない。気分でテンポをしょっちゅう変えるし、曲全体が持つ物語がない。

そしてとどめはこの一言。

Structurally, it had no clear game plan.

確かに間違ったことはまったく言っていないと思います。
ええ、まったく言っていませんね。

①に関して言えば、なぜドブリン氏がそこまでサヴァリッシュを評価するのかはわかりませんが。(僕だってサヴァリッシュは好きですが。)
ただ、まあ、なぜわざわざベートーヴェン・チクルスとかやるのかなあ、とか思ってしまうのは事実です。

②も確かにおっしゃるとおり。細部にこだわりすぎるあまり、全体の構造に対する気くばりがおろそかになるというのは、確かにエッシェンバッハの音楽ではよくあることです。(曲によるとは思いますが。例えばマーラーなんかではあまり感じられません。)

ただ、ドブリン氏も言っているように、音楽を盛り上げるのはすごぶるうまいですし、ここぞというときにオーケストラからすごいパワーを引き出すことができる指揮者だと思います。欠点は欠点としておいておき、魅力を楽しむのがエッシェンバッハの一番楽しい聴き方ではないでしょうか。減点法ではなく加点法の聴きかたといえばいいでしょうか。

このドブリン氏の記事はなかなかわかりやすいエッシェンバッハ評だったと思います。

ちなみにドブリン氏によると、フィラデルフィア管の音楽監督に必要なのは「高度に洗練された音楽解釈の能力(possession of a high degree of interpretive sophistication)」であるそうです。エッシェンバッハにはそれがないということなのでしょう。


ちなみに個人的にはエッシェンバッハに対する懸念としては別のものがあって、それは「このまま彼が音楽監督をやり続けたら、フィラデルフィア管はどんどんヘタになっちゃうのではないか」というものです。
これは今のところ漠然とした思いですし、また別の機会にでも。
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by ring_taro | 2005-03-30 17:42 | フィラデルフィア管弦楽団
フィラデルフィア管弦楽団室内楽演奏会 (Mar. 20, 05)
キメル・センター、ペレルマン・シアター

モーツァルト: ピアノと管楽器のための五重奏曲 K. 452
ベートーヴェン: 弦楽四重奏曲第16番 Op. 135
ポッパー: レクイエム
フォーレ: ピアノ三重奏曲

前回の室内楽演奏会に比べると、完成度がアレな曲が一曲もなく、大変高水準な演奏会でした。

今回の演奏会ではエッシェンバッハがピアニストとして登場。フィラデルフィア管が誇る管楽器の首席奏者たちと、モーツァルトの「ピアノと管楽器のための五重奏曲」を演奏しました。

この曲のメンバーは下記のとおり。

クリストフ・エッシェンバッハ: ピアノ
リカルド・モラレス: クラリネット
リチャード・ウッドハムズ: オーボエ
ダニエル・マツカワ: バスーン
デビット・ウェザリル: ホルン

曲の出だしからエッシェンバッハのピアノが重いし暗い。こんなピアノの音、ありえるのか。イメージとしては、曲がすすむにつれて音楽がどんどん沈みこむ感じ。この曲、こんなに重くて暗い音楽でしたっけ?

昨年同じホールでクリスティアン・ツィマーマンのピアノを聴いて、彼のピアノも相当重いものだったのですが、エッシェンバッハのそれとはかなり異質です。
ツィマーマンのピアノは確かに重いのだけれど、そこにすんごい磨きぬかれた音色が伴ったものでした。それに対して、エッシェンバッハのピアノは、なんていうかな、すべての音にいちいち影がさしている感じ。

そんなエッシェンバッハとは対照的に、クラのモラレスとオーボエのウッドハムズは重さや暗さとは無縁の音色。相変わらず音の一つ一つに羽がはえているような、軽やかで美しい音楽をつくっていきます。モーツァルトにはピッタリ。

そんな組み合わせではさぞやおかしな音楽が生まれてしまうかと思いきや、どっこいよくできたアンサンブルになってました。不思議なのですが、バランスが実によくとれていました。これが一流ということでしょうか。本当に不思議。

印象深かったのは、楽章のあいだ。
エッシェンバッハははやく次の楽章に入りたくて、鍵盤の上に手を置いているのに、ウッドハムズはのんきに羽根を使って楽器の掃除をはじめちゃうのです。エッシェンバッハはその作業をチラチラ見ながら、両手を膝の上に置いたりまた鍵盤の上に構えたりを繰り返して、明らかにイラついてました。

僕はエッシェンバッハの音楽にフィラデルフィアに来て確実にハマり始めているのですが、この楽章間でせかせかする癖だけは何とかならないかなー。
前にもちょっと書きましたが、悲愴の三楽章が終わった直後に拍手喝さいが起こってしまったときも、ほぼアタッカで四楽章を始めてしまいました。音楽台無し。音楽的な意味があるのでしょうが、もう少しこう、ゆとりが欲しいなーと思うことが結構多いのでした。

その後の三曲もとてもクオリティが高い演奏でした。

ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲は何度聴いても深い感動を覚えるし、ポッパーの三台のチェロとピアノのための「レクイエム」はとても美しい曲でした。

そしてフォーレ。
晩年のフォーレの音楽って、相当厳しい曲想の中でいつの間にか「詩情」だとか「やさしさ」だとかが浮かびあがってくる感じがたまらなく好きです。
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by ring_taro | 2005-03-29 20:21 | クラシックの演奏会
フィラデルフィア管弦楽団演奏会 (Mar. 18, 05)
キメル・センター、ボライゾン・ホール

ラヴェル: 「マ・メール・ロワ」組曲
シエラ: ヴァイオリンとヴィオラのための協奏曲
サロネン: インソムニア
ラヴェル: 「ダフニスとクロエ」第二組曲

クリストフ・エッシェンバッハ: 指揮
アンドレス・カーデネス: ヴァイオリン
ロベルト・ディアス:ヴィオラ

21世紀になってから作曲された二曲をラヴェルではさむというプログラム。
個人的にはノラン・ミラーがラヴェルの両曲のホルンの1stを吹いていたことがとてもうれしかったです。
(彼の現在の肩書きは"Retired Principal"なのですが、どういうことなのでしょうか?ちなみに現在、主席ホルンは空席の状態のようです。)

今までよくわかっていなかったのですが、僕が普段から慣れ親しんでいたのは「マ・メール・ロワ」のバレエ音楽版だったようです。いきなり予想していなかった始まり方だったので、ちょっとビックリしました。

ゆっくりめのリズムに暗めの音色で、エッシェンバッハは実に緻密な音楽をつくっていきます。このような曲ではフィラデルフィア管の木管セクションのうまさが本当に際立ちます。
最後の曲のクライマックスへの持っていき方も本当にうまいです。いつも思うのですが、エッシェンバッハという人はリハーサルの段階で相当に音楽をつくりこんでいるのではないでしょうか。一度リハーサルを見学してみたいものです。

シエラの「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏曲」はフィラデルフィア管とピッツバーグ響が共同で委託した曲だそうです。プエルト・リコ出身のシエラによる曲のソリストを、キューバ出身のカーデナス(ピッツバーグ響コンサートマスター)とチリ出身のディアス(フィラデルフィア管主席ヴィオラ奏者)がつとめるという企画。
ソリストというよりはオーケストラのなかの一部のようにあつかわれている曲で、三楽章のけだるいムードから、終楽章のオケ・ソロそろって疾走する音楽へと移っていくところが一番印象に残っています。

三曲目は指揮者として高名なフィンランド出身のエサ=ペッカ・サロネンによる「インソムニア」。東京のサントリーホールが作曲を委託した曲だそうです。四本のワグナー・チューバが効果的に使われていました。確かに「不眠症」とワグナー・チューバの音色って、なんだか合うような気がするな。

最後は再びラヴェル。「ダフニスとクロエ」は二ヶ月ほど前におなじホールでマゼール/ニューヨーク・フィルの演奏を聴いたばかりなので(そのときは合唱付きの全曲版)、どうしてもそれとくらべて聴いてしまいます。ニューヨーク・フィルのギラギラしたカラフルで官能的な音色に対して、今夜のエッシェンバッハ/フィラデルフィア管はどこまでも音楽的。「マ・メール・ロワ」と同じく暗めのしぶーい音色で進められていきます。

近年のエッシェンバッハの音楽は、時としてその奇抜さばかりが話題になりがちですが、オケに充実した響きをつくりあげていること、こけおどしではない音楽的なサウンドづくりにつとめていることは忘れてはいけないことだと思います。

ところで「ダフニスとクロエ」が終わった直後にちょっと興味深いことがありました。

僕の隣で聴いていた老夫婦のおじいちゃんの方が、演奏が終わるや否や怒りだして「ひどい演奏だ」といって出て行ってしまったのです。往年のフィラデルフィアの名指揮者たちの演奏と比べてしまったのでしょうか。ちなみにプログラムによると、この第二組曲はオーマンディの十八番中の十八番だそうで、彼の在任中ほぼ二年に一度は定期演奏会に組み込まれていたそうです。
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by ring_taro | 2005-03-27 20:20 | クラシックの演奏会
フィラデルフィア管弦楽団演奏会 (Mar. 12, 05)
キメル・センター、ボライゾン・ホール

スメタナ: 『売られた花嫁』より三つの舞曲
グリーグ: 歌曲集
ドヴォルザーク: 交響曲第七番

クリストフ・エッシェンバッハ: 指揮
バーバラ・ボニー: ソプラノ

前の日にノルウェーはオスロから来たオケのリヒャルト・シュトラウスを聴いたと思ったら、今日はアメリカのオケ、アメリカの歌手でグリーグを聴くと。

なんだか不思議な感じです。
かつてパリに旅行に行ったときにフランス国立管の演奏会に行ったら、スヴェトラーノフの自作自演とかを聴いたということがありました。なんだか不思議な感じでした。

それはさておきバーバラ・ボニーの歌ってすごくいいですね。
フォルティシモでも決してキンキンすることのないソプラノって素敵です。ホールの空気に溶けていく感じ。やさしさと冷たさが一緒になった歌声はこれらのグリーグの曲にぴったりでした。
ちなみに曲は「モンテ・ピンチョより」、「ソルヴェイグの歌」、「ソルヴェイグの子守唄」、「白鳥」、「春」の五曲。

そして休憩後はドヴォルザークの七番。
この半年くらい、エッシェンバッハの指揮でいろいろな曲を聴いて思ったのですが、彼の場合は曲想がシリアスであればあるほど名演になる確率は高いです。ドヴォルザークなら八番よりも七番、チャイコフスキーなら五番よりも「悲愴」といった感じです。

エッシェンバッハはそういったシリアスな曲を、より深刻な方へ深刻な方へ持っていこうとします。普通の指揮者ならボヤぐらいの出来事が、彼の手にかかると大火災になります。

それゆえに彼の音楽は「重い」。前任者のサヴァリッシュの音楽も重かったのですが、それは彼のテンポであったり音色が重いのであって、音楽自体は結構軽やかなものだと思います。エッシェンバッハの重さは「音楽自体の重さ」ですね。

聴き手としては、彼の音楽にいっさいの身をゆだねて振り回される感じが一番いいかと思います。そうしないと、彼が曲のいろいろなところにしこんだ仕掛けに出くわすたびに、冷めてしまうことになります。そもそも彼は大真面目なのですし。

というわけでドヴォルザークの第七番。
一楽章冒頭からして、これからとてつもないものが始まることを予感させます。そしてその予測どおり、これから一大叙事詩が始まるがごとくの一つ目のクライマックスをむかえます。そのままただならぬ気配のまま曲は進むのですが、ところどころででてくる管楽器の牧歌的なソロとのミスマッチがたまりません。そして曲は急展開。落しどころの見えぬまま、不安な感じを残しつつ一楽章は終わります。

二楽章は木管の緊張感のあるアンサンブルから始まります。ただこの楽章、フィラデルフィア管の木管奏者や弦の美しい音色を堪能することができるので、全曲のなかでオアシスのような存在でした。ただ、ホルンがでてくると急に音楽がデモーニッシュになります。

三楽章は一番ビックリしました。音楽が重過ぎて、ブルックナーのスケルツォみたいになってます。とにかく自分のかかわる音楽には内容を詰めて詰めて詰めこもうという、彼の音楽人としての矜持をみました。

四楽章になってもテンションは持続したまま。冒頭のトランペットの合いの手は最後の審判のよう。曲調は途中から次第に安らぎを感じさせるものとなるはずなのですが、エッシェンバッハのドボ7は深刻なまま。ここではきっとテンポを粘らせるだろうなーと思ったところは、期待通り粘ってくれます。圧巻は最後の最後。急ブレーキ→猛ダッシュ→急ブレーキ。ムチ打ちになるかと思いました。ここは楽譜どおりと言われればそうなのですが、とにかく何もかもが「過剰」。

以上、聴きおわったらクッタクタの40分でした。
この音楽のもつ「深刻さ」は、オーマンディにもムーティにもサヴァリッシュにもなかったものだと思います。今後、フィラデルフィア管がどうなっていくのか、本当に注目ですよ。

ちなみにこの演奏は4月にはインターネットでも聴くことができると思います。
日本の皆さんもぜひ聴いてください!
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by ring_taro | 2005-03-25 19:40 | クラシックの演奏会
オスロ・フィルハーモニック管弦楽団演奏会 (Mar. 11, 05)
キメル・センター、ボライゾン・ホール

ドビュッシー: 牧神の午後への前奏曲
プレヴィン: ヴァイオリン協奏曲
リヒャルト・シュトラウス: アルプス交響曲

アンドレ・プレヴィン: 指揮
アンネ=ゾフィー・ムター: ヴァイオリン

成田からシカゴ経由で帰ってきてすぐの演奏会。
どう考えても無謀だと思うのですが(まあ、結果的に無謀だったわけですが)、なぜそんなにまでして聴きに行こうと思ったのかというと、ムターのヴァイオリンを一度ライブで聴いてみたかったからです。(この事に関しては、聴きに行ってよかったです。)

前プロのドビュッシーの冒頭フルートから、管楽器の音がアメリカのオケとまったく違うことに驚かされます。「ヨーロッパの音」なんてひとくくりにはできないことはわかっているのですが、なんていうか、この、「あいまいとしたところを残した音」というのでしょうか。イメージの話ですよ。

例えば聞いた話によると、北欧のホルンってすごく重いんだそうです。(重量というよりも吹いたときの抵抗が。)

僕はずっとアメリカ製のホルンを吹いているのですが、ヨーロッパ製のホルンを吹いているひとに試しに僕の楽器を吹いてみてもらうと、「まるでオートマ車を運転しているみたいだ」とか言われます。マニュアルとオートマくらいの違いがあるんですねー。
(ちなみに僕が吹いているホルンはホルトンのタックウェル・モデルという、アメリカ製のホルンの中でも相当に軽ーいホルンなのですが、それになれちゃうとドイツのホルンなんてふけません。)

マニュアルの車にこだわり続ける人がいるように、ドイツや北欧のホルンでないと表現できないものがあるのでしょう。音をコントロールする能力という点においてはアメリカのメジャー・オケは世界でも群を抜いていると思いますが、それでもアメリカのオケをワンランク下に置くクラシック・ファンの人がいるのは、まあ、そういうことなんだと思います。

僕はというと、アメリカのオケは大好きなんですけれど。
ちなみに僕は自動車免許もオートマ限定ですが。

中プロはプレヴィン自作のヴァイオリン協奏曲。プログラムによると2002年にムターのソロでボストン響により初演された曲だそうです。

このひとのヴァイオリンって、どうして聴くたびにいつも「この演奏がこの曲の一番正しいあり方だ」って思わされるのでしょう。この日の曲は相当にこんがらがったものでしたが、彼女のソロのパートになるとグチャグチャっとしていたところにパッと明るい道筋が示されたような感覚にとらわれます。まるで魔法みたい。

休憩後はアルプス交響曲。この曲は、ええと、すごく迫力がありました。
すいません、いかにも「この曲はわかりません」ってのがアリアリの感想で。

ところでこの演奏会、当日会場にふらっと行ってみたら、10ドルでチケット買えました。安ーい。
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by ring_taro | 2005-03-25 18:12 | クラシックの演奏会

帰ってきました

b0044005_22384123.jpg日本から帰ってきました。
まあ、しばらく前には戻ってきていたのですが。

結婚式に出席したり、事務的な用事をすませたり、人と会ったりと、時差ぼけになるヒマもありませんでした。
今年のスギ花粉はすごいと脅されていたのですが、さいわい僕が東京にいるあいだは、花粉はそれほどひどくはなかったようで。大変快適でしたよ。

時間を見つけてはタワーレコードや中古CDショップで、CDを買いました。
(品揃えは間違いなくこっちより東京の方が充実しています。)

スピッツの新譜が出てたんですね。スーベニアー。
個人的にはここ数作の硬質な感じがなくなって、すごくいい感じです。
人によっては甘ったるすぎるって言うかもしれませんが。

とりあえずは最近行った演奏会のことなどを書いていこうと思います。
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by ring_taro | 2005-03-22 22:50 | ひとりごと
b0044005_18502395.jpg
用事ができて、ちょっとだけ日本に帰ることになりました。
といっても、時差ぼけがなおる間もなく戻ってきますが。

そんななかでも、事務的な用事をすませたり、大学時代の友人と飲んだり、知人がピットで吹いているアマチュア・オペラの公演を観にいったりで、かなりキツキツなのですが。

それでは行ってきます。
(現在朝の5時・・・。ここらへんがフィラデルフィアのちょっと不便なところ。)
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by ring_taro | 2005-03-03 18:56 | ひとりごと
2月13日、フィラデルフィア管はリッカルド・ムーティを指揮者にむかえ、資金集めのためのコンサートが開きました。

僕はどうしても都合がつかなくて聴きに行くことができなかったのですが、新聞などを読んだ限りでは大成功だったようです。一連の記事について「南イタリアの申し子~リッカルド・ムーティ」さんがまとめてくださっています。

この街でのムーティの評価は微妙なものがあります。知人のあいだでも「大好きだった(実にブリリアントな音楽だった)」と「大嫌いだった(あいつは自分に酔っていただけだ)」と、両方の意見がありますし。お年寄りとそういうお話をすると、「オーマンディは本当によかったなあ」なんて遠い目をされることもあります。

ちなみにこの街のタワー・レコード、クラシック音楽コーナー担当のおっさんは大の「ムーティ・ファン」。
先日もスクリャービンの交響曲のCDをいろいろと見比べていたら、ガーっと飛んできて、しゃべり倒された挙句にムーティ/フィラデルフィア管の全集を買わされてしまいました。結構高かったんだよなあ。

いわく、「君がお金を節約したいとかそういう目的でスクリャービンのCDを買おうというのならこっち(アシュケナージ)だろうけど、音楽に熱狂だとか感動だとかそういうのを求めるのならムーティだよ。それにこれ、あんまり売ってないんだぜー。ま、一介のムーティ・ファンのいうことなんて、聞き流してくれていいんだけどさ。」
そんなふうに言われて、アシュケナージ買えるわけないでしょう。まあ、確かにいい演奏だったからよかったですけど。でも「熱狂的」ってのはちょっと違うんじゃないですか?(個人的にはムーティ/フィラデルフィア管の魅力は「微温」な感じだと思っています。)

ムーティの特別演奏会の前後にはいろいろと新聞に記事がのったのですが、2月10日のPhiladelphia City Paper紙の記事が一番読みやすくて面白かったです。

13日のコンサートには昨年五月にオーボエのウッドハムズやティンパニのドン・リウッツィ、ヴァイオリンのラリー・グリカといったメンバーがウィーンでムーティと食事をし、また一緒に演奏したいねと話しあったという伏線があったこと、このコンサートではムーティはノーギャラなことなど面白いことを知りました。

また、ムーティのフィラデルフィアという街への愛憎模様についてもいろいろと書いてありました。前任者オーマンディと比較され続けたこと。フィラデルフィアに住もうとしなかったことへの批判。チャイコフスキーやラフマニノフといった派手な音楽ばかりが喜ばれることへのフラストレーション。「アメリカのオケは技術的にはすばらしいが”senz'anima”(魂がない)だ」という発言に彼の苦悩がよくあらわれています。

一番ショッキングだったのは下記の発言。

“In America, the people interested in culture are very few, and they are usually of European origin. The culturally literate are a very small part of society, almost like a ghetto.”

言っちゃうか、そんなこと。
まあ、「この発言のどこかに事実と反するものはありますか?」といわれたら、なんとも答えられないのですが。でもねえ。

ただしこういうところで書かれている発言やエピソードが一字一句正確かというと、そうとは限らないでしょう。そういうことを頭の片隅に置きながら読むべきですね。
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by ring_taro | 2005-03-03 06:33 | フィラデルフィア管弦楽団