アメリカはフィラデルフィアに住む“りんたろう”のブログ


by ring_taro
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純粋さと明晰さ

ドーン・アップショウ、リチャード・グード演奏会 (Apr. 26, 05)
キメル・センター、ボライゾン・ホール

ハイドン: ピアノ・ソナタハ長調 Hob. XVI-50
シューマン: リーダークライス Op. 39
ドビュッシー: 華やかな饗宴 第二集
ドビュッシー: 枯葉 (前奏曲第二集より)
ドビュッシー: 喜びの島
ムソルグスキー: 「子供の部屋」より

ドーン・アップショウ: ソプラノ
リチャード・グード: ピアノ

アップショウのソプラノとグードのソロ・ピアノが楽しめるなかなかお得な演奏会。

グードのピアノは実にスリリングですね。ハイドンの一楽章など加速→急ブレーキ→加速→急ブレーキを延々続けていました。なんというか、こう、すごくバネのきいたピアノというか。

アップショウのソプラノはとにかく歌声のクセの無さ、素直さが特徴的です。リーダークライスって曲自体がもうちょっとクセのある曲だったような気がしますが、実に透明度の高い音楽になっていました。

ところでアップショウといえば忘れてはならないのは、ケント・ナガノ/リヨン国立歌劇場管とのカントルーブの「オーヴェルニュの歌」のCD。曲の土臭さはどこかへ吹き飛び、、そこにあるのは澄んだ空気と青い空と緑の丘。あれ、オーベルニュの人々は?見当たりません。てな感じのちょっと異色な美しい演奏です。

閑話休題。
伴奏になるとよくわかるのですが、グードのピアノは実に明るいです。例えばリーダークライスの三曲目「森の語らい」などは、結構シビアな曲だと思うのですが、冒頭から能天気炸裂。カラッと明るいシューマンになっております。

個人的にはこういう明晰なピアノのドビュッシーは大好き。特に「喜びの島」はこうじゃなくっちゃ。グードは恥ずかしながらハイドンやベートーヴェンのイメージしかなかったのですが、ドビュッシーもいいですねー。

最後はムソルグスキーの歌曲集「子供の部屋」より五曲。子供目線の歌なので、アップショウは「お茶目さ」と「迫真の演技」を見事に結合させ、ある意味壮絶な歌いっぷりを見せつけます。無邪気で明るい音楽ですが、そこはムソルグスキー。どこかにイビツさや不穏さが見え隠れするところはさすが。


ところで演奏会後に、アップショウとグードとのレセプションがあったのですが、行ってみたら参加者は8人ほど。もっとちゃんとPRしなさいよって感じです。まあ僕たちは楽しかったからよかったけど。
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by ring_taro | 2005-04-29 13:32 | クラシックの演奏会

Music From the Inside Out

フィラデルフィア管弦楽団の団員を追いかけたドキュメンタリー映画、Music From the Inside Outを観てきました。期待した以上の面白さでしたよ。こういう類のドキュメンタリーを観てジーンとくることって、今まであまりありませんでした。

ディレクター/プロデューサーのダニエル・アンカーによると、この映画は "musical essay" だそうです。

団員へのインタビューや私生活の風景、彼らのグループ・ディスカッション、そして実際の演奏風景などで構成されています。ホストやナレーターを入れない、インタビューのときに聞き手の声を入れない、指揮者たちへのインタビューも(かなりやったそうですが)あえてカットと、徹底して「演奏者たち」に焦点を絞った映画です。
実に五年に渡ってこのオーケストラを追いかけたそうで、アジアやヨーロッパでのツアー風景なども観ることができます。

映画は「音楽とは何か」という質問をぶつけられた団員たちが悩んだり、みんなで語り合う光景から始まります。「すばらしい音楽とはどのようなものか、どのようにして生まれるのか」と言う謎を、すばらしい音楽を作り出す側の人たちがまじめに考え込む風景は、演奏する行為の深遠さと、「謎」ゆえに魅力であることを私たちに教えてくれます。

すごくよかったのは、コンサート・マスターのデビット・キムの話。
全米をツアーするソロ・ヴァイオリニストだった彼がオーケストラに入ろうと決心した時のことを語るのですが、そこに彼がフィラデルフィア管の団員と共にシューベルトの弦楽五重奏曲を演奏している映像がオーバーラップするのです。キムの語る「アンサンブルをする喜び」にこれほど説得力を持たせる構成が他にあるでしょうか。しかも曲はこの世に残された最後の花園のようなシューベルトのあのクインテット。

そしてこの映画の終わりの部分。団員一人一人が「あの曲」を弾いたり吹いたり歌ったりするのを繋ぎあわせ、それがいつの間にかエッシェンバッハ指揮のオーケストラによる演奏に切り換わります。なんというすばらしいクライマックス。

上映後は団員たちによる質疑応答がありました。
それによると今回の一週間の上演は「テスト・ラン」であり、この後再び編集し直して全米で上映する予定だそうです。同時にビデオやDVDとしても発売して教育の現場などで観てもらうことを考えているそうです。(DVDが出たら絶対買います!)
映画のいろいろな内情を知ることができましたし、観客も編集などについての突っこんだ質問や注文をしたりして、とても面白かったです。


気になるのは、映画の各所で観られたエッシェンバッハ指揮の演奏風景。これはキメル・センターで観客を入れずに特別に収録したものだそうです。通して演奏したものを抜き出して、映画に収録したそうな。
ということは、エッシェンバッハが指揮するフィラデルフィア管のベートーヴェンやシューベルトやブラームスのまとまった映像が残されているということ。DVDになるときにボーナス・トラックとかで入れてくれないものでしょうか。特にシューベルトはよかったなあ。
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by ring_taro | 2005-04-28 23:39 | フィラデルフィア管弦楽団
Jimmy Scot and the Jazz Expressions
Dianne Reeves (Apr. 22, 05)
キメル・センター、ボライゾン・ホール

会場につめかけた人々のジミー・スコットに対する「リスペクト」がすごかったです。なんだかその敬意が発する暖かさがホールを満たしている感じ。

で、ジミー・スコットはというと、それはもう「音程」とかそういう瑣末なことはもはや超越した境地。暖かーい声で歌います。幸せなひと時です。

後半はダイアン・リーヴス。
ここまで巧くて正確なジャズ・ボーカルってあるものなのか!押しても巧いし、引いても巧い。まさに自在な歌。一番印象に残った曲は、セロニアス・モンクの「リフレクションズ」です。モンクがつくった曲はそのキテレツさに目がいきがちですが、実はとっても美しいということを再認識いたしました。


ところで今回のコンサートの客層は、同じホールで行なわれるフィラデルフィア管弦楽団のそれとはまっっったく違うものした。そしてみんな思い思いのおしゃれをして来るのです。普通の格好で行った自分が恥ずかしいくらい。そのおしゃれの多様なこと。クラシックのコンサートでのやや画一的なものとは違い、カラフルなものあり、自らの民族的ルーツを意識したものありと、観客を見ているだけでも退屈しないくらいです。そしてコンサートが終わると、みんな幸せそうな顔をして家路につきます。

以前、リッカルド・ムーティがこの街についての「文化的に洗練された人は一握りしかいなくて、まるでゲットーだ」という発言(をしたと書かれた記事)を紹介しました。ムーティが本当にそんなことを言ったのかどうかは置いておくとして、それは物事のほんの一面しか捉えてないことがわかります。
フィラデルフィアの人はみんなとっても文化的に生きています。
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by ring_taro | 2005-04-24 23:04 | ジャズ

105 People... One Passion

現在、フィラデルフィア管弦楽団をあつかったドキュメンタリー映画が公開されています。

MUSIC FROM THE INSIDE OUTというタイトルのこの映画、予告編を見た限りでは団員たちのインタビューと私生活、それとリハーサル風景で構成されているみたいです。

"MUSIC FROM THE INSIDE OUT is the Orchestra’s first major film project since Fantasia"だそうな。

Rizt 5(フィラデルフィアの街中にあるシネマ・コンプレックス)で22日から28日まで上映中。て、一週間だけかよ。観に行けるかなー。行きたいなー。行ったらまた感想を書きますね。

日本で上映する予定があるのかどうかは・・・わかりません。

詳細はこの映画のHPへ。


ところでアメリカの映画館に行くと、ドキュメンタリー映画の数が多いことに驚かされます。みんなそれを「娯楽」として観に行くんです。「作り話の映画は観ない」なんて言う友達もいます。僕もここ数ヶ月で三本観ましたが、どうしても娯楽にはならないなー。

ちなみにこの記事のタイトルは映画のキャッチ・コピーから。
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by ring_taro | 2005-04-23 22:08 | フィラデルフィア管弦楽団
フィラデルフィア管弦楽団演奏会 (Apr. 16, 05)
キメル・センター、ボライゾン・ホール

リムスキー=コルサコフ: ロシアの復活祭序曲
ストラヴィンスキー: ハ調交響曲
ベートーヴェン: 交響曲第七番

シャルル・デュトワ: 指揮

前回の演奏会よりも「デュトワらしさ」を理解しやすいプログラムだったと思います。

僕が初めて買ったストラヴィンスキーの交響曲のCDはデュトワのものでした。確かスイス・ロマンド管とのものだった気がします。その録音があまりに鮮烈だったので、そのあと聴いたどのCDも物足りなく思ったものでした。

と、今回の演奏はその録音とはずいぶん印象が違う感じ。テンポは相当遅く、音楽がやわらかい。出色だったのは二楽章。ゆったりとしたテンポのなか、弦が木管が美しいメロディを紡いでいきます。

フィラデルフィア管がこの曲を以前に演奏したのは2000年。(その前となると1964年までさかのぼります。)指揮はサヴァリッシュ。この日の演奏以上にまったりとしたストラヴィンスキーだったのではと勝手に想像します。あるいはそのときの演奏が、今回のおおらかなストラヴィンスキーのベースをつくったのかも。


ベートーヴェンも同様、カドのとれた柔らかな音楽でした。

こんなに流麗なべト7は聴いたことがありません。とにかく音楽が流れる流れる。この曲を特徴づけているリズムは後方に押しやられ、滑らかさが前面に出ている感じ。

一楽章の途中、ずーっときざまれているビートが一瞬エアポケットのように無くなる部分があるのですが、ここが面白い。それまではこのビートのおかげでかろうじて保たれていた曲のリズミカルな側面が、この部分で楔を抜かれたようにふっと緩んでしまいました。

この曲もストラヴィンスキーと同様、二楽章が一番よかったです。冒頭、弦が次第に重なっていく部分から最上のバランスと美感で音楽が進んでいきます。一分のすきも無いまさしく完璧な音楽でした。


デュトワがベト7を振ったらこんな感じになるだろーなーと想像した通りの演奏でした。デュトワがそれだけ自分のスタイルを確立した指揮者だからか、それとも僕があまりに先入観で音楽を聴きすぎているのか・・・。


ところでこの日の演奏会はフィラデルフィア管をはじめて聴くという人と一緒に行ったのですが、演奏が終わった直後の第一声が「深みのない音ね」。

「ねーよ、そんなもん」と喉のところまで出かかりましたが、思いとどまり「えー、そうですかー?」とか言ってしまいました。ああ、なんだかちょっと自己嫌悪。
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by ring_taro | 2005-04-22 07:46 | クラシックの演奏会
ニューヨーク・フィルハーモニック演奏会 (Apr. 14, 05)
リンカーン・センター、エーブリー・フィッシャー・ホール

ペトラッシ: 死者の合唱
リスト: ファウスト交響曲

リッカルド・ムーティ: 指揮
トーマス・モーザー: テノール
ニューヨーク・コラール・アーティスツ: 男声合唱

この日は午前中にオープン・リハーサルもあったので、それも見学してきました。すごく行ってよかったです。ムーティのことも、ファウスト交響曲のことも、より詳しく知ることができました。

一曲目のペトラッシ作曲「死者の合唱」が始まる前に、ムーティはマイクを使ってアナウンスをしました。この曲が作られた1941年という時代のイタリアについて、この曲を「今」演奏することの意味について。そして曲が終わっても拍手をしないで欲しいというお願いがありました。

この曲は三台のピアノ、金管、低弦、打楽器、そして男声合唱というすこし変わった編成の曲です。居心地の良さと悪さが共存するような不思議な曲でした。それは「死の安寧と理不尽さ」という歌詞の内容と密接に結びついたものだったのでしょう。ただ重苦しいだけでなく、どこかに諧謔味のある音楽です。

しかしこの曲の終わりに大変ショッキングなことがありました。音楽が静かに終わろうとしたまさにそのとき、ノーテンキな携帯の着信音が!コンサート・ホールに鳴り響く携帯の音は数多く聞いてきましたが、この日のそれほど凶悪なものは聴いたことがありません。

拍手をしないでほしいとお願いしたら、その代わりに着信音。
ああ、惨すぎる・・・。

ムーティは動じる気配も無くスッと舞台から引き上げていきましたが、残された奏者と観客の居心地の悪さ、気まずさといったらそれはもう・・・。ああ、思い出しただけで胃が痛くなる。

さあっ。き、気を取り直して後半のファウスト交響曲だっ。
大曲だぞー。

ところでムーティのリハーサルですが、曲の要所での「キメ」の部分を確認する以外は、ほとんどがフレージングやメロディの歌わせ方に関するものばかりでした。

このムーティの「うた」への執着はすさまじいものがありました。最後のリハーサルということもあって、前プロのペトラッシは流しただけで終わりましたが、リストはこだわりにこだわりぬいたリハーサルでした。

特に第二楽章「グレートヒェン」のリハーサルでは、ムーティ自身が朗々とすばらしい声で歌いながら、内声部にまで執拗にカンタービレを要求していました。
そして本番では20分以上にわたり、オーケストラが歌いっぱなし。ここまで全てのパートが歌いきったオーケストラの演奏というものは聴いたことがありません。一音たりとも歌いそこねてなるものかといわんばかりのオーケストラの入れ込みよう。呼吸をするのも思わず忘れてしまうような美しい音楽でした。
うおー、こんなにすばらしい曲だったのか、ファウスト交響曲って。

三楽章のリハーサルでは一転、ビートの維持に神経を注いでいました。ムーティはオーケストラがビートに乗り切れていないと感じているらしく、何度も止めては注意します。特に楽章の真ん中あたりでフーガっぽい展開になるところの頭のヴィオラと2ndヴァイオリンが気に入らないらしく、延々とパート弾きをさせ続けます。おーい、夜には本番だよなーなんて不安になったものでした。

ムーティの説明したところによると(声を全て聞き取れたわけではないので、ジャスチャーなどで判断するに)、ビートの維持はその先にある音楽の「解放」のためのもののようです。我慢に我慢を重ねて音楽を維持してエネルギーを溜めることによって、クライマックスで一層のカタルシスを得ることができる。そんなことを説明していました。

(すいません、「解放」というのは僕の言葉です。上手く説明できませんが、単純に言ってしまえば、一番盛り上がったところの「ジャーン!!」って感じの部分のことです。)

このことが僕のムーティの音楽に対する理解をより深めてくれたような気がします。
というのは、僕は以前からムーティの音楽で気になることとして、弱音があまりに弱すぎるというものがあったのです。静かな部分で音をあまりに小さくしすぎて、音楽を窒息させている。そんなふうに感じることがしばしばありました。
しかしこの日のリハーサルを聴いてわかりました。その後の音楽の「解放」のためだったんですね。この日の演奏でもそれはもう限界まで音を小さくさせていた部分が多々ありましたが、それが刹那的なものではなく、音楽の流れに則した必然性のあるものだと気がついたら、ムーティの音楽をより楽しむことができました。

合唱とテノールのソリストは三楽章途中から入場。これまでの70分はこのためにあったのだと思わせるような感動的なクライマックスをつくりあげていました。

ムーティの「うた」への執念、音楽に対する真摯な姿勢に心を打たれた演奏会でした。

ああ、また一人、「首ったけ」な指揮者ができてしまった・・・。
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by ring_taro | 2005-04-17 07:14 | クラシックの演奏会
スティーブン・イッサーリス、スティーブン・ハフ演奏会 (Apr. 13, 05)
キメル・センター、ペレルマン・シアター

ヨハン・フンメル: 変奏曲ニ短調
スーク: バラードとセレナーデ
ブラームス: チェロ・ソナタホ短調 Op. 38
マルチヌー: スロヴァキアの主題による変奏曲
ブラームス: チェロ・ソナタヘ長調Op. 99

スティーブン・イッサーリス: チェロ
スティーブン・ハフ: ピアノ

フィラデルフィアでイッサーリスを聴くのは昨年9月のフィラデルフィア室内管弦楽団の演奏会以来二回目です。あの時はショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第一番だったのですが、雄弁で深い音に感動したものでした。(ホルンも実にすばらしかったです。)

この日のブラームスは、あのショスタコーヴィチに比べると、より丁寧で内省的な演奏だったと思います。僕はそういうブラームスの方が断然好き。ホ短調の方のチェロ・ソナタで、なんか感情むき出しの始まり方とかされるとゲンナリしますもん。(だれのCDかはあえて言いませんが。)

ハフのピアノはイッサーリスに比べるとちょっと表現主義的。ただ、二人の息が実に合っているため、それほど違和感がありませんでした。
ところでよく考えたらこの人、マゼール/ニューヨーク・フィルがフィラデルフィアに来たときにやったラフマニノフのソリストでした。あまり記憶に無いんだけど・・・。

アンコールはそのハフが作曲した、イッサーリスの娘さん(いや、息子さんだっけかな?)にささげた小品。きれいな曲でした。
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by ring_taro | 2005-04-17 03:29 | クラシックの演奏会

ようやくNYに慣れてきた

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ニューヨークに行ってきました。

ようやくNYに慣れてきたといいますか、迷わなくなりました。
路線図見ずに地下鉄に乗れるようになったし。

NYに出かけた本当の目的はさておき、個人的にはムーティ/ニューヨーク・フィルを聴きにいけたことがうれしかったです。しかも無理してオープン・リハーサルから聴いてきました。

すごく面白かったですよ。無理してよかった。いろいろなところにシワ寄せがきたけど。
感想はまた後ほど書きます。


ところで夏に友人と何人かでタングルウッドに行こうと計画中。
どなたか一緒に行きませんか?少しでも安くあげたいので。

8月にはタングルウッドから100キロほど西にあるニューヨーク州サラトガ・スプリングスで、フィラデルフィア管が夏のシリーズをやっています。無理して両方聴きに行こうと思っています。


(写真はNYのリンカーン・センター。左がメトロポリタン歌劇場、右がニューヨーク・フィルの本拠地エーブリー・フィッシャー・ホール。)
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by ring_taro | 2005-04-16 13:53 | ひとりごと

ゲルギエフは両刃の剣?

先週の日曜にフィラデルフィアで、その後月・火・水とニューヨークでコンサートを行なったゲルギエフ/キーロフ・オーケストラ。
僕が聴いたニューヨーク二日目のプログラムはフィラデルフィア公演とまったく同じだったようです。このプログラムについての両都市の新聞の演奏会評を比べてみました。

まずは4月5日のピーター・ドブリン氏によるPhiladelphia Inquirerの記事、"Kirov Orchestra's appealing program has its surprises"。

Let's say it plainly: The Kirov is a magnificent orchestra.

この一文をみればわかるとおり、オーケストラをべた褒め。それに加えてプログラミングについても高い評価をしています。決して現在の人気曲たちと比べて劣っているわけではないが、次第にオーケストラのレパートリーから遠ざかっていった曲たち。キーロフ・オケはそれらの曲のすばらしさを私たちに再認識させてくれたと。そして「今回のプログラムは聴衆に迎合したものではない。しかし、とても魅力的なものだった。」

そしてそれに続けて、ドブリン氏はこう書きます。

This was in large part because of the playing, which had the musicians digging into their parts as if their lives depended on it.

この"as if their lives depends on it"ってのがいいですね。


一方、New York Timesのアラン・コズィン氏による記事、"Power, Refinements and a Kinetic Conductor"。
面白いと思ったのはこの一文。

Mr. Gergiev is a micromanager at heart, and that can be a double-edged sword.

コズィン氏はゲルギエフの特徴を「両刃の剣(a double-edged sword)」と表現しています。(ただ、これは日本語で言うところの「諸刃の剣」のようなネガティブな意味は無いと思います。)プロコフィエフの交響曲などでは「剥き出しの力強さ(raw power)」を見せつけたかと思ったら、シベリウスではよくまとまった流れるような音楽を展開させる。

こうしたゲルギエフの「両刃」が一つにまとまったのが、翌日のマーラーの「復活」だそうな。それはそれはすばらしい演奏だったようで、聴きに行けなかったことが悔やまれます。


僕はフィラデルフィアでの演奏会は聴いていないのですが、新聞評を読んだ限りではNYで僕が抱いた印象と同じようだった模様です。お客さんは盛り上がったのでしょうか?
New York Timesの「両刃の剣」っていう表現は・・・うーん、僕にはちょっとよくわかりません。そうなのかな?

面白いのは、Philadelphia Inquirerがオーケストラのことを褒めちぎりながら指揮者ゲルギエフのことには具体的にはほとんど触れられていないのに対し、New York Timesで語られているのはほとんどがゲルギエフだったこと。

このことに何か意味があるのか?と言われたら、まあ、無いのかもしれません。この日の演奏で、指揮者とオーケストラを分けて語ることは困難でしたから。ただ、僕が一番心を揺さぶられたのは、オーケストラの曲に対する真摯な取り組みでした。
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by ring_taro | 2005-04-12 22:42 | 音楽全般
The John Scofield "Real Jazz" Trio
Brad Mehldau Trio (Apr. 8, 05)
ペンシルヴァニア大学、アネンバーグ・センター

John Scofield: Guitar
Bill Stewart: Drums
Steve Swallow: Bass

Brad Mehldau: Piano
Larry Grendadier: Bass
Jeff Ballard: Drums

ジョン・スコフィールドとブラッド・メルドー・トリオのダブル・ビル

僕はこのダブル・ビルというのが大好きです。それぞれのグループが一時間弱のライブをやって、間に休憩が入ります。好きな理由は、単純に「二度おいしい」ということもありますけど、集中力が持つでしょう。

この一時間弱っていのがいいのです。そもそもジャズクラブの1セットもそれくらいの時間ですし、レコードを通して聴いてもそんなもんだったでしょう。
と、自分の集中力が持たないことを棚に上げて、勝手なことを言ってしまいました。

ジョンスコのギターはおもしろいですねー。「あ、結構まともだな」なんて思ったとたんに、音が歪む歪む。引きつる引きつる。聴いてると視界がグルグルしてくるようなギターです。
バカラックの「アルフィー」なんて曲もやって、それはそれで素敵だったのですが、やはり真骨頂は三人まとめてドドドドネチョグキャーンと暴れる曲。

あと、ベースのスティーブ・スワローがすごく良かったです。この人のベースって、音楽を支えるのではなくて、スッと流れのなかに入って漂うって感じですごく好きです。そんなスワローのベースが、ジョンスコのぐっちゃぐちゃなギターとからみ合うのだからたまりません。

後半のブラッド・メルドーは、冒頭の深ーいピアノの一音から、ジョンスコでアツくなった聴衆の心を一気に覚ましました。(冷ます?醒ます?いや、やっぱり「覚ます」。)僕はここまで左手が「語る」ジャズ・ピアノを聴いたことがありません。この左手が重く深いんだ。

レディオヘッドの曲あり、レノン/マッカートニーありとバラエティに富んだ選曲でしたが、一番印象に残ったのは「オール・ザ・シングス・ユー・アー」。この曲の解体っぷりはすごかったです。曲が進むにつれ、「あ、この曲、オール・ザ・シングス~だ」と気づいた瞬間があったのですが、またすぐにそれが闇の中に消えていきました。

楽しいコンサートでした。これ、順番が逆「メルドー→ジョンスコ」だったらダメだったでしょうね。

ところで一緒に行った人に「すごくよかったから、おすすめのCDを教えて」と言われてちょっと困ってしまいました。

ブラッド・メルドーの方は、「ベースとドラムスがうるさかった」と言われたので(そうだったかなあ?)、『ライブ・イン・トーキョー』をすすめておきました。

ジョンスコは・・・困ります。最近の「ジャズ」なアルバムだと、この日のみたいにイッちゃってるのって結構ないんですよね。今回のトリオによる録音や、ブラッド・メルドーと共演しているものもあるのですが。。。気に入ってもらえるかなあ。それに僕もジョンスコの全てのCDを聴いているわけではないし。うーん、ジャムバンドかなあ。

なにかいいCDがあったら教えてください。

これがクラシックだったら、「ちょっとズレたものを貸して反応を楽しむ」なんて事をする余裕が多少はあるのですが。
(以前「ブルックナーの交響曲って聴いたこと無いんだけど、なんかいいCDある?」って聞かれて、ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの九番を人に貸したことがあります。初めて聴くブルックナーがムラヴィンスキーって人の反応を見てみたかったのです。)
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by ring_taro | 2005-04-11 19:56 | ジャズ