アメリカはフィラデルフィアに住む“りんたろう”のブログ


by ring_taro
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くたばれユニオン!

そういえばこちらの演奏家評が途中だったことを思い出しました。このタイミングで続きを書くのをちょっとためらいもするのですが。。。


10月7日の演奏会、後半の悲愴については書きましたが、前半のアンドレ・ワッツ独奏のブラームスのピアノ協奏曲第二番についてはまだでしたね。

ワッツのピアノがものすごくよかったです。昨年ベートーヴェンの「皇帝」を聴いた時にはもっと「力づく」な印象だったのですが、この日のブラームスは実に風格あるものでした。力強いピアノを弾く人ですが、一音一音の音をたたせるというよりは、音の塊がグワーっと押し寄せるような感じですよね。(なので昔から彼のベートーヴェンの「月光」の三楽章が大好きです。)

一番よかったのは二楽章でしょうか。エッシェンバッハの凝縮されたオーケストラ・サウンドにワッツが挑みかかってくる感じがたまりません。そしてそれゆえに中間部の解放感が引き立ちます。三楽章も実に美しかったです。このオケの新たなチェロの首席奏者ハイ=イェ・ニのソロも太く暖かい音でとてもよかったです。

そういえばこの曲はどこかで読んだ吉田秀和氏の文章のおかげで理解が深まった覚えがあります。確かアラウ/ジュリーニのレコードを誉めて「四楽章はブラームスの南への、イタリアへのあこがれなのだ」と書かれていたのだと思います。そういれれば、第二主題とかカンツォーネっぽく聴こえてきたりします。(この日のプログラムには「ハンガリー舞曲風」って書かれてましたけど。)そう考えると四楽章の突然の明るさがわかるような気がしませんか?


ところでこのプログラムのオープンリハーサルに行った時にとてもびっくりすることが起こりました。

リハーサルは10時半から1時までで、悲愴→ブラームスの順番でした。で、以前書いたようにエッシェンバッハはドレスリハーサルにも関わらずものすごい綿密なプローベをしていたわけです。当然時間はかかります。

そして悲愴が終わり、ワッツとのブラームス。通しただけでも明らかに1時までには終わらない、どうするんだろうと思っていました。で、四楽章の途中で1時になったわけですけど、舞台袖から人がでてきてリハーサルをブチって止めてしまいました。オーケストラのメンバーは楽器を片付けて引き上げてしまいました。後に残されたのは音抜きで打ち合わせをするワッツとエッシェンバッハとその助手の方。

一緒に聴いていた人たち(まあ、オープンリハーサルに来るのは95パーセントはおじいちゃんおばあちゃんです)はものすごい怒っていました。隣のおばあちゃんなんて"F××k the Union!"なんて叫んだりして。

つまりオーケストラの組合との規定で、リハーサル時間が一分でも超えると追加のギャラが発生するので、オーケストラ側としてはリハーサルを止めざるを得ないということのようです。それにしても、ねえ。。。ワッツは四楽章の後半を一度もあわせないまま本番に挑むということでしょうか?オーケストラの団員は音楽家であると同時に労働者でもあるということなのでしょう。


なんか最近このオーケストラのネガティブキャンペーンをはっているような体になってしまいましたが、それは全くもって僕の本意ではありません。次回からはちゃんと(なるべく)音楽を聴く喜びを書いていこうと思います。

ところでワッツさん、リハーサルでオーケストラパートのみになる度に、手ものとスコアをパラパラめくっては次の自分のソロを確認するということを繰り返してて面白かったな。
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by ring_taro | 2006-10-28 23:39 | クラシックの演奏会
またまたご無沙汰してしまいました。

今日は最近のフィラデルフィア・インクワイヤラー紙のエッシェンバッハに関する記事を見てみます。(記事の面白そうな部分をピックアップするという、本当は一番やってはいけないことをやっちゃいます。)

まずは10月21日の記事から。

現在、エッシェンバッハ氏はパリの自宅にいるが、いまだ直接マスコミには語っていない。スポークスウーマンを通して契約の延長をしない理由を、音楽監督に就任した時に設定した目標を達成したからだとコメントした。

「クリストフはとても個人的な人間です。とても繊細な人間です。私たちはとても広範囲にわたる話し合いをし、その結果このような決定をしました。」(フィラデルフィア管のプレジデント、ジェームズ・アンダーコフラー氏談)

エッシェンバッハとこのオケはこの三年間でいくつかのの素晴らしい演奏をしたが、それより頻繁に彼のリハーサルと本番は団員からの苦情をよぶことになった。本番中スコアを見失ったり、まとまりのないリハーサルをした挙げ句に時間の延長を要求したり、テンポの奇妙な加速減速を主張したり。

この契約延長をしない旨の報告を昨日のウンジャンとのリハーサル時に聞いた団員は一様に静かであったという。多くの団員はエッシェンバッハは引き続きこのオーケストラに留まるものだと考えていた。

指揮者のスケジュールというものは数年先まで決まっているものであるから、少なくとも2008-09シーズンは音楽監督なしでやることになる。まだ後任探しは始まっていないとのこと。

(Peter Dobrin, "Eschenbach to bow out in 2008: Music director will leave after 5 years with orchestra," Philadelphia Inquirer, October 21, 2006.)

次は翌日の10月22日の記事から。「苦難の時期は終わった」なんてびっくりするような書き出しで始まります。特に後任に関する記述の部分を見てみましょう。

後任探しは難航するだろうが、こういうものは天からの気まぐれな授かり物的な要素がある。例えばベルナルド・ハイティンクは思いのほか早くドレスデンを離れたが、その結果首席指揮者としてシカゴ響と多くの時間を割くことが出来た。リッカルド・ムーティは昨年スカラ座を追われたが、その空いたスケジュールをフィラデルフィアに使うことが出来る。

サイモン・ラトルは90年代の終わりにこのオケからの音楽監督就任のオファーを断っているが、彼のベルリンでの評判はフィラデルフィアのエッシェンバッハと同じく賛否の分かれるものとなっている。それに今年始めに客演した時の彼とフィラデルフィア管との演奏は今までで最高のものだった。

オーケストラとこの街の人々はウラジミール・ユロフスキがブラームスやベートーヴェンをどのように振るのか大変関心がある。彼はもっぱらロシアものばかり取りあげ、その他のものはあまり取りあげる気がないようだ。

ワレリー・ゲルギエフは彼の過密気味のスケジュールにどれだけ予定を詰め込めるか楽しんでいるかのようだ。フィラデルフィアは彼がちょっとだけ立ち寄る場所以上の街になりたいと望んでいる。

シャルル・デュトワのスケジュール帳には、もはやモントリール響の名前はない。彼の毎年の客演は何かを期待させられる。しかし彼は「新鮮な血」とはなりえない。

後任探しにおいてエッシェンバッハのこの街の離れ方は汚点となるだろう。このオケは新たな指揮者泣かせのオーケストラ(the conductor-eating orchestra)としてその名を轟かせることになるかもしれない。

いずれにせよ、フィラデルフィアが求めているのは強いリーダーシップだ。エッシェンバッハが音楽監督に決まる前、このオケは複数の指揮者でやりくりすることを検討していた。例えばアトランタ響(スパノとラニクルズ)やピッツバーグ響(アンドリュー・デイヴィスとトルトゥリエとヤノフスキ)のように。

しかしそれらのオケはビッグ・ファイブではない。フィラデルフィア管のようなオケではキャリア的に失うものがない団員たちにビジョンを示すことが出来るリーダーシップがしばしば求められる。

クルト・マズアはズビン・メータとの悲惨な時期を経たニューヨーク・フィルをどのようにしてそんなに素晴らしい演奏ができるまでにしたのかと聞かれてこう答えた。「こう言ったんだ。私のためにやるのがイヤなら帰りますよってね。」
聞いたかい、フィラデルフィア?

(David Patrick, "Minus a maestro: Long finale may be building," Philadelphia Inquirer, October 22, 2006.)

と、ここまで書いてですね、「南イタリアの申し子」さんが同じ新聞記事を僕なんかよりもっと美しい言葉で扱ってらっしゃることに気がつきました。あれですね、言語能力(日本語も英語も)にいかんともしがたい差がありますね。ここまで読んでいただいてなんですが、こんな駄文を読むよりそちらを読んでくださいませ。ここから先はあまり愉快なことは書いてありませんし。
すいませんでした。



以下、記事を読んでのとても個人的な感想。

最近、インクワイヤラー紙を読んでいると驚きあきれることばかりです。

指揮者と団員との間に緊張があったのは間違いないでしょう。でもエッシェンバッハが多くを語らないからといって団員側の話だけ聞いて記事書いちゃったりするのはどうなんですか。

まだ後任選びが始まっていない段階で出てくる名前にたいした意味はないのはわかります。今年と来年に客演する指揮者をちょっとピックアップしてみただけのことでしょう。でもそれにしたって、でてくる名前がトンデモすぎませんか。ムーティが戻ってくるなんてことあるでしょうか。ベルリン・フィルの音楽監督を辞した人間がアメリカのオケの音楽監督になるものでしょうか。どちらも似たようなケースが過去あるでしょうか。(あ、フルトヴェングラーがシカゴ響の音楽監督になりそうになったんでしたっけ?)ゲルギエフが仮に音楽監督になったとしてですよ、フィラデルフィアに多くの時間を割いてくれると思いますか。

「それらのオケはビッグ・ファイブではない」のくだりは読んでて本当につらくなりました。でもこの街の人にとって、ビッグ・ファイブとそれ以外のオケとの「格の違い」というのは厳然として存在するもののようです。

演奏会場で隣に座った人とかと話してて実感するのですが、この国のクラシック音楽を聴きにくる人たちってコンサートに行く前に新聞の演奏会評を読んで来たり、行ってもいないのに記事を読んでなんか聴いた気分になったりってのが相当多いんですよ。で、フィラデルフィアにクラシックの演奏会評が載るような新聞なんて一紙しかないわけですよ。恐ろしいことだと思います。アメリカのオケで上手くやっていくには、新聞を敵にまわさないこと。情報が団員を通して流れるので、そういう意味でも団員と上手くやっていくこと。大変な国ですね。

駄文、失礼いたしました。
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by ring_taro | 2006-10-27 18:50 | フィラデルフィア管弦楽団

新聞買ってきました

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普段、フィラデルフィア管のことなんか全然取りあげないデイリー・ニュース(右)もこの扱い。
後でちゃんと読んでまた投稿します。

後任候補の話題でインクワイヤラー紙(左)が言及している名前

ラトル、ユロフスキ、ゲルギエフ、デュトワ

目を覚ませええええええ!!
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by ring_taro | 2006-10-22 03:54 | フィラデルフィア管弦楽団

「受け入れがたい決定」

昨日のお話の続き。

メールの一部を訳してみますと、

彼のこの決意は私たちフィラデルフィア管にとっては受け入れがたいものです。卓越した音楽家であるマエストロ・エッシェンバッハは私たちと素晴らしいことをやってきました。私たちを楽しませてくれた多くのエキサイティングなコンサートに加え、革新的なレコーディングの契約を結ぶ手助けをし、世界中へ素晴らしいツアーに率い、基金の拡充やコミュニティへの深い関わりなど、多くの貢献をしてくださいました。マエストロが11月にフィラデルフィアに戻ってきた時に、皆様が私たちの彼に対するサポートとリスペクトと賞賛を共有していただくよう、なにとぞよろしくお願いします。

あいかわらずの超訳っぷり、ご容赦ください。

オーケストラのショックっぷりがわかります。
(まあ、これが単なるポーズである可能性はあるわけですが。)

新聞のバックナンバーをチェックしたのですが、まだこのことについてはふれられていないです。今日のやつ(土曜版)に載っているのでしょう。久しぶりに新聞買ってみようかな。

Philadelphia Inquirer紙の9月24日の記事では、エッシェンバッハの契約更新の時期が近づいているので「なんとか彼をつなぎ止めておくように」と書いてありました。懸念は現実のものとなったのですね。まあこの新聞らしく、あいかわらず彼のフィラデルフィア管に全力を注いでくれない姿勢を非難はしているのですが。

これ、面白い記事だな。また機会があったら紹介します。クーベリック/シカゴ響やミトロプーロス/ニューヨーク・フィルのような「今となっては理解しがたい」ケンカ別れと比較したりとかして。



さて、最後にこっそりと個人的な次期音楽監督の予想を書いてみます。
(実現の可能性や現実味についてはあまり考慮してません。最近のアメリカ・オーケストラ業界をちゃんと把握しているわけではありませんし。完全な自己満足です。だから怒らないでね。)

とにかく大事なのはこのオケの下がりきった技術的水準を叩き直しつつ、魅力的な音楽づくりをできる人であることだと思うんですよ。

デイヴィット・ロバートソン:個人的な大本命。「アメリカの希望」。セントルイス響の音楽監督に就任したばかり。シカゴもニューヨークも狙う逸材。彼を手に入れたらフィラデルフィア管にまた黄金時代が訪れる。
ヤコフ・クライツベルク:去年客演したときにそれはそれは素晴らしいショスタコーヴィチを聴かせてくれた。その音楽は鋭利で明晰。来年三月にも客演。
ピーター・ウンジャン:夏のモーツァルト・フェスティバルを率いたり、毎年のように定演に登場する。実は一番可能性が高いかも?明快な音楽づくりながらも、スケールが小さくその音楽に「魔力」はない。小物感はぬぐい去れない。今週から二週にわたり客演。
ジェームズ・コンロン:結構頻繁にこのオケを振っている。昨年度もサヴァリッシュの代役を務めました。キャリア的にお互いにとって申し分ない?来年一月にも客演。
シャルル・デュトワ:このオケのサラトガ・シーズンの音楽監督。定演にも毎年登場。しかも何週にもわたって。十分な実績。ただしいかんせん高齢。個人的にこのコンビは相性が悪いと思う。結構、音楽づくりがユルい。来年三月に客演。
ヴラジミール・ユロフスキー:最近よく客演するロシアの俊英。来年二月にも客演。
ロセン・ミラノフ:現在の副指揮者。
リッカルド・ムーティ:11月に定期演奏会に帰ってくる!まあ、ないな。。。
ロリン・マゼール:まあ、ないな。。。
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by ring_taro | 2006-10-21 21:46 | フィラデルフィア管弦楽団
またしばらく投稿してなくてごめんなさい。
用事で西海岸に行ってました。そのことについてはまた今度。

さっきフィラデルフィア管からメールが来て、「2007-08シーズンをもってエッシェンバッハが音楽監督を辞める」とのことです。

ショックだ。。。いくらなんでも早すぎます。

とりいそぎ。
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by ring_taro | 2006-10-21 05:01 | フィラデルフィア管弦楽団
フィラデルフィア管弦楽団演奏会 (Oct. 07, 06)
キメル・センター、ボライゾン・ホール

ブラームス: ピアノ協奏曲第二番
チャイコフスキー: 交響曲第六番「悲愴」

クリストフ・エッシェンバッハ: 指揮
アンドレ・ワッツ: ピアノ

今回は書きたいことがたくさんあるので、さしあたって今日は「悲愴」のみ。

土曜日の演奏会の前に、木曜朝のオープンリハーサルを聴いてきました。面白かったですよー。ああ、こうやってエッシェンバッハの音楽はできていくんだと納得することがいくつかありました。

リハーサルで一楽章を通したとき、エッシェンバッハにしては随分と淡白でおとなしい「悲愴」だなと思っていたのですが、そこからエッシェンバッハの表情付けが始まります。

実は結構細かいところまで指示する指揮者さんのようです。
例えば弦と木管が交互に同じ音型を演奏するところで「木管が弦に比べてどこそこの音が少し長い。弦にあわせて」とか、管楽器奏者の一人の音程の悪さを指摘したりとか、気にくわないところがあると例えば1stヴァイオリンに何度もパート弾きをさせるとか。とてもドレスリハーサルとは思えない細かさでした。自分の大学オケ時代を思い出したりしましたよ。

あとはエッシェンバッハ名物のタメ、粘り、加速を仕込んでいく作業です。
例えば一楽章第二主題がヴィオラによって導入される部分、ヴィオラは最初あっさりはいったのですがそこで止めて「もっとじっくり。速すぎる!」とヴィオラのパート弾くをさせたりします。このようにしてどんどん音楽が「濃ゆい」ものになっていくのですね。二楽章に関しては、ヴァイオリンに露骨にポルタメントを要求する部分があったり。

リハーサルで一番驚いたのは三楽章の最後部分。エッシェンバッハはちょっと考えられないような凄まじいアッチェレランドをかけていきます。指揮通りに演奏したら音楽が崩壊するんじゃないかというくらい。ところがオーケストラはどこ吹く風。「お付き合い」程度のアッチェレはしますが、指揮とはどんどんズレていきます。で、三楽章を通しおえてすぐエッシェンバッハ氏は「遅い!」と叫びました。ものすごい緊張感だったなあ。

で、本番なのですが、リハーサルとはうってかわった完成度と気迫。特に金管の咆哮は鳥肌がたつほどでした。さすがプロですね。それにしても一楽章第二主題や二楽章のあの美しさはフィラデルフィア管でないとちょっとだせないものですね。
懸案の三楽章終わりですが、加速はするもののかなりの安全運転になってしまっていました。指揮とオケも完全にかみ合ってましたね。あのリハーサルの狂気の加速は何だったのだろう。。。

二年前にこのブログを書き始めた頃にも少しふれたことですが、エッシェンバッハ/フィラデルフィア管の音楽というものは、実は相当に両者の妥協の産物的な要素が強いのではないでしょうか。リハーサルを聴いてそのことをより強く感じました。少なくともエッシェンバッハの思い描く「悲愴」は、この日鳴らされたそれとはかなりの距離があると思います。

これは完全に僕の思い込みかもしれませんが、リハではオケと指揮者との間に結構な緊張がしばしば走りました。でも確かにエッシェンバッハのアプローチ(テンポ設定、旋律の歌わせ方や音量における表情付け)通りに演奏されたとしたら、相当にグロテスクなものができてしまう可能性もあるんですよね。少なくとも長大な曲を一つのものにまとめあげるという構成力という点では、かなり問題のある人だと思います。

フィラデルフィア管には長い歴史のなかで多く聴衆を魅了した名演・名盤を創り続けたという矜持があるでしょう。おのおののキャリアに裏付けられたプライドがあるのでしょう。そこで両者は折り合いを付けて現在私たちが聴いている音楽が出来上がるのだと思います。今ここで音楽が生まれつつある現場の証人となる興奮もありますし、同時にかなりの危うさのある音楽ですね。
これが例えばかつて氏が音楽監督を務めたヒューストン響のような「素直な」オケだと、よりナマのエッシェンバッハの音楽に近いものが出来上がるのだと思います。

パリ管との演奏会を聴いている人の感想とかもぜひ聴いてみたいなあ。パリでエッシェンバッハがどのような音楽をやっているのか。とても興味があります。

ところで「悲愴」もレコーディングされるようです。三楽章の後に予想通り拍手が起きてしまいましたけど。(四楽章の終わりはみんなすごい我慢してました。)
リハーサルで「バランスをチェックするために三楽章の終わりをちょっとやります。物音を立てないでください。」といって終わり数十小節をやってましたけど、あれはバランスのためじゃないね。拍手が起きちゃった場合にそこを切り貼りするためだね。間違いない。
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by ring_taro | 2006-10-08 23:56 | クラシックの演奏会
フィラデルフィア管弦楽団演奏会 (Oct. 03, 06)
キメル・センター、ボライゾン・ホール

バッハ: ヴァイオリン協奏曲第二番
アサド: ヴァイオリン協奏曲
ショスタコーヴィチ: 交響曲第五番

クリストフ・エッシェンバッハ: 指揮
ナージャ・サレルノ=ソネンバーグ: ヴァイオリン

前回のラン・ランといい今回のナージャといい、エッシェンバッハは「やんちゃ系」ソリストがお好きなんでしょうか。

二年前にメンデルスゾーンをやった時にも思ったのですが、この人のヴァイオリンはできるだけ前の席で聴いた方がいいです。なんというか、彼女自身が一番心地よく聴こえる音量で弾いている感じなんですよね。僕は幸い前の方の席(あまりに前すぎてやっすい席)に座っていたので楽しめましたが、四階席とかちゃんと聴こえてるのかな。

それにしてもここまでバッハを自由に弾く人ってそうはいないでしょう。旋律は歪み、イントネーションは好き勝手に変え、カデンツはチャルダーシュみたいな感じにし、ところどころにグリッサンドを入れてきます。僕の隣に座っていた紳士なんて、ナージャがそんな「オカズ」を挟むたびに苦々しそうなうめき声をあげていました。

ただなあ。結果的に「ナージャらしさ」がでてるんじゃなくて、「ナージャらしさ」をだそうというのがアプローチの出発点になっている感じが否めないんですよね。面白いことはこのうえないんですけど。なにもバッハでやらなくてもなー、とは思っちゃうんですよね。

一番よかったのは二楽章。曲の真ん中に音楽のピークがしっかりと計画されていて、そこへ向かう求心力、そこから音楽が収束へ向かうはかなさが緊張感をもって演奏されていました。しかしこれはエッシェンバッハの功績だよなあ。

次のヴァイオリン協奏曲を作曲したクラリス・アサドはなんとあのギターデュオ「アサド兄弟」のセルジオさんの娘さんだそうです。1978年生まれって僕より年下かよ。

曲はいかにもブラジルの人の曲らしく熱さと気だるさが同居した雰囲気。それでいて現代音楽的なテイストも感じられるなかなか面白い曲です。それにしてもものすごく難しそうな曲なのに、ナージャのヴァイオリンはバッハよりもはるかに上手く感じられます。まあ、そういうものですか。バッハって難しいですよね。

さて、メインはショスタコーヴィチの五番。この有名曲は「ショスタコーヴィチまにあ」になればなるほど「好きじゃない」と言う人が多くなりますが、僕は大好き。特に一楽章と三楽章の冷たい美しさはちょっと他の曲では味わえないものです。

演奏前に「この曲はレコーディングするので物音を極力立てない努力をしてください」といういかにもアメリカらしいもってまわったアナウンスがありました。
そうかー、これCDになるかー。ちょっとすごいですよ、この演奏。ユニークさという意味では今までに出た三枚のCDとは比較にならないと思います。

とにかく一楽章から内容が濃いです。いくつかのエピソードが積み重なってシークエンスとなっているような曲想が特徴的なこの楽章ですが、すべての場面すべての音に意味を持たせるエッシェンバッハの手腕に感心します。美しく滑る弦にも、軋む木管にも、咆哮する金管にもすべて意味があるのです。この場面場面の正確を明確にするというエッシェンバッハの手法はショスタコーヴィチ(とそしてなによりマーラー!)だからこそ成功するという側面はあるのでしょう。曲によってはまとまりがなくなっちゃいますものね。

ただ、エッシェンバッハのアプローチはどこまでも音楽的なので、(ショスタコーヴィチ解釈に時に見受けられるうっとうしい)楽譜の外にある非音楽的なディスコースに寄りかかった解釈とは一線を介します。やっぱ、ショスタコーヴィチはこうでなきゃ。言語化されえない、そしてそれゆえに個人的にも普遍的にも同時になりうる悲/喜劇こそがショスタコーヴィチの最大の魅力だと思うわけですよ、僕は。(とまあ一生懸命言語化しようとしている自分が滑稽なのですが。)

二楽章はこれまたエッシェンバッハ名物の暗く重いスケルツォ。とにかくテンポが遅い。一歩一歩噛み締めるように進みます。しかしこの遅さ、CDで聴いたらどう思うのかな。でも、ライブで体感するテンポとCDで聴くテンポは全く違うものか。部屋で聴いたら案外普通に感じるのかも。あ、今の僕発言、なんかチェリビダッケみたい。逆チェリビダッケか。

三楽章は何パートにも分割された弦セクションが美しく、演奏によっては幾層に重ねられても失われない透明感がたまらなく素敵なのですが、この日の演奏は透明感よりも「うねり」を感じさせるものでした。例えるならば、一つ一つはか細い空気の流れが綾となりつむじ風になるような。そして有名なクライマックスの場面は実に劇的。

いよいよ四楽章。今、スコアが手元にないので確認できないのですが、遅めに始まりその後テンポがめまぐるしく変わるのは確かスコア通りなんですよね?聴いててクラクラしてしまいます。まあそこが楽譜通りとして、クライマックスの遅さは。。。何なんだろうあれは。どんどん遅くなって、最後には止まっちゃうんじゃないかというくらいでした。全弓で音を刻む弦、両手で叩くティンパニ、力尽きる金管。描かれたのは人類の夜明けか、絶望のもがきか。いや、そのような一切の言語化を拒む昂揚か。いやあ、腰を抜かしました。

ところで今シーズンから昨年度空席だったホルンの首席にジェニファー・モントーン(Jennifer Montone)という人が就いたのですが、この演奏会ではものすごくよかったです。昨年度から何度かのっていて、オープニングナイトでもチャイコフスキーを吹いていたのですが、正直言ってあまり好きではありませんでした。しかしこのショスタコーヴィチは完璧。圧倒的な存在感でした。
この人、就任にあたってちょっとしたセンセーションをおこしたのですが、それはまた別の機会に。
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by ring_taro | 2006-10-06 16:15 | クラシックの演奏会
フィラデルフィア管弦楽団オープニングナイト (Sep. 21, 06)
キメル・センター、ボライゾン・ホール
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モーツァルト:「フィガロの結婚」序曲
チャイコフスキー: フランチェスカ・ダ・リミニ
ショパン: ピアノ協奏曲第一番

クリストフ・エッシェンバッハ: 指揮
ラン・ラン: ピアノ

オーマンディ編曲のアメリカ合衆国国歌から始まったオープニングナイト。こういうところでオーマンディ編のものが使われるところがフィラデルフィア管ですね。

ところでこの合衆国国歌、「歌いづらい国歌」として有名です。最初気持ちよく歌っていても途中でどんどん音が高くなって、一番高くなったところでフェルマータ。この日も最後は全員裏声。

オープニングナイトというものはまあ所詮は「お祭り」ですし、演奏のクオリティについて語るのは野暮というものです。そんなにリハーサルをする時間もないでしょう。それは聴いててよーくわかりまフガフガ。。。

それでもエッシェンバッハは音楽的な妥協は一切なさらない姿勢のご様子。特にフランチェスカ・ダ・リミニではオーケストラを振り回す振り回す。特に地獄のつむじ風の部分では音楽がうねりまくります。終わり方が特にものすごかったです。崩壊寸前までアッチェレランドをしたあげく急ブレーキ。
フィラデルフィア管のシーズンが戻ってきたなー、またエッシェンバッハの音楽が聴けるんだーとやたらうれしくなってしまいました。

そしてそのまま休憩なしでショパンのピアノ協奏曲へ。

エッシェンバッハらしい内容の実に濃い序奏部の後、いよいよ「俺たちフィラデルフィアの」ラン・ラン登場。
この人のピアノはもう「やんちゃ」そのもの。やりたい放題、好きに弾き放題。どう弾くかは完全にその場その時の気分で決めてるんじゃねーかと思ってしまうぐらい気まぐれです。しかもべらぼうに上手い。なんていうのかな、指揮者もオーケストラも彼のやんちゃっぷりをわかった上でサポートし、お客さんもそんな様をいとおしく思い、ラン・ラン自身もそんな周りの暖かさをすべて承知の上でその空気に乗っかってやんちゃを演じているかのような、そんな会場全体を丸ごと包み込む「共犯関係」を感じてしまいました。
まあこれはパフォーマンスの一つの理想型なのかもしれません。個人的には「それでいいのかよ」という思いがいくらかあることは否定しませんが。でも彼は1982年生まれの若手中の若手。これからどんどん円熟していくのでしょう。今は彼の若さゆえのやんちゃを楽しむことにしましょう。

一番よかったのは二楽章。彼の気まぐれな感性が「ロマンス」という曲想にあっているのでしょう。綿々と紡がれる旋律は美しさの極み。エッシェンバッハ指揮による伴奏はどちらかというと厳しくストイックなもので、これが音楽を甘ったるいものにさせていませんでした。

アンコールはマエストロとラン・ランの連弾によるシューベルトの「軍隊行進曲」。ここでもラン・ランのやんちゃっぷりは遺憾なく発揮されるのでした。

(写真は演奏会を聴き終わりディナー会場に向かう上流階級の皆様。)

なお、この日の曲目の拙による解説はこちらこちら
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by ring_taro | 2006-10-05 21:33 | クラシックの演奏会
b0044005_19123172.jpgまたまたご無沙汰してしまいました。すいません。

昨日ものすごいヤマ場がありまして、ようやくそれを乗り切った次第です。
で、その解放感からそのままフィラデルフィア管の演奏会に行ってまいりました。

エッシェンバッハ指揮でバッハのヴァイオリン協奏曲(ソリストはナージャ・サレルノ=ソネンバーグ)、ショスタコーヴィチの五番他でした。オープニングナイトのこともまだ書いてないし、よーし、この二つの演奏会は今日帰ってきたら書き上げるぞー。

で、その演奏会の後、フィラデルフィア管の新譜発売を記念したエッシェンバッハのサイン会がありました。新譜が出てることすら知らなかったので、CD買ってサインもらってきちゃいました。(15人くらいしか並んでなかったけど。ちょっと寂しかった。)

今回の曲はマーラーの六番。昨年度の定演で僕が一番よかったと思っていたものなのでものすごくうれしいです。カップリングにはエッシェンバッハ他フィラデルフィア管の団員たちによるマーラーのピアノ四重奏曲が。

まだ聴いてません。六番って聴くのに結構体力がいりますよね。

次回の新譜はサン=サーンスの「オルガン付き」だそうです。発売は2007年頭だとか。
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by ring_taro | 2006-10-04 19:30 | フィラデルフィア管弦楽団