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アメリカはフィラデルフィアに住む“りんたろう”のブログ


by ring_taro
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ゲルギエフは両刃の剣?

先週の日曜にフィラデルフィアで、その後月・火・水とニューヨークでコンサートを行なったゲルギエフ/キーロフ・オーケストラ。
僕が聴いたニューヨーク二日目のプログラムはフィラデルフィア公演とまったく同じだったようです。このプログラムについての両都市の新聞の演奏会評を比べてみました。

まずは4月5日のピーター・ドブリン氏によるPhiladelphia Inquirerの記事、"Kirov Orchestra's appealing program has its surprises"。

Let's say it plainly: The Kirov is a magnificent orchestra.

この一文をみればわかるとおり、オーケストラをべた褒め。それに加えてプログラミングについても高い評価をしています。決して現在の人気曲たちと比べて劣っているわけではないが、次第にオーケストラのレパートリーから遠ざかっていった曲たち。キーロフ・オケはそれらの曲のすばらしさを私たちに再認識させてくれたと。そして「今回のプログラムは聴衆に迎合したものではない。しかし、とても魅力的なものだった。」

そしてそれに続けて、ドブリン氏はこう書きます。

This was in large part because of the playing, which had the musicians digging into their parts as if their lives depended on it.

この"as if their lives depends on it"ってのがいいですね。


一方、New York Timesのアラン・コズィン氏による記事、"Power, Refinements and a Kinetic Conductor"。
面白いと思ったのはこの一文。

Mr. Gergiev is a micromanager at heart, and that can be a double-edged sword.

コズィン氏はゲルギエフの特徴を「両刃の剣(a double-edged sword)」と表現しています。(ただ、これは日本語で言うところの「諸刃の剣」のようなネガティブな意味は無いと思います。)プロコフィエフの交響曲などでは「剥き出しの力強さ(raw power)」を見せつけたかと思ったら、シベリウスではよくまとまった流れるような音楽を展開させる。

こうしたゲルギエフの「両刃」が一つにまとまったのが、翌日のマーラーの「復活」だそうな。それはそれはすばらしい演奏だったようで、聴きに行けなかったことが悔やまれます。


僕はフィラデルフィアでの演奏会は聴いていないのですが、新聞評を読んだ限りではNYで僕が抱いた印象と同じようだった模様です。お客さんは盛り上がったのでしょうか?
New York Timesの「両刃の剣」っていう表現は・・・うーん、僕にはちょっとよくわかりません。そうなのかな?

面白いのは、Philadelphia Inquirerがオーケストラのことを褒めちぎりながら指揮者ゲルギエフのことには具体的にはほとんど触れられていないのに対し、New York Timesで語られているのはほとんどがゲルギエフだったこと。

このことに何か意味があるのか?と言われたら、まあ、無いのかもしれません。この日の演奏で、指揮者とオーケストラを分けて語ることは困難でしたから。ただ、僕が一番心を揺さぶられたのは、オーケストラの曲に対する真摯な取り組みでした。
# by ring_taro | 2005-04-12 22:42 | 音楽全般
The John Scofield "Real Jazz" Trio
Brad Mehldau Trio (Apr. 8, 05)
ペンシルヴァニア大学、アネンバーグ・センター

John Scofield: Guitar
Bill Stewart: Drums
Steve Swallow: Bass

Brad Mehldau: Piano
Larry Grendadier: Bass
Jeff Ballard: Drums

ジョン・スコフィールドとブラッド・メルドー・トリオのダブル・ビル

僕はこのダブル・ビルというのが大好きです。それぞれのグループが一時間弱のライブをやって、間に休憩が入ります。好きな理由は、単純に「二度おいしい」ということもありますけど、集中力が持つでしょう。

この一時間弱っていのがいいのです。そもそもジャズクラブの1セットもそれくらいの時間ですし、レコードを通して聴いてもそんなもんだったでしょう。
と、自分の集中力が持たないことを棚に上げて、勝手なことを言ってしまいました。

ジョンスコのギターはおもしろいですねー。「あ、結構まともだな」なんて思ったとたんに、音が歪む歪む。引きつる引きつる。聴いてると視界がグルグルしてくるようなギターです。
バカラックの「アルフィー」なんて曲もやって、それはそれで素敵だったのですが、やはり真骨頂は三人まとめてドドドドネチョグキャーンと暴れる曲。

あと、ベースのスティーブ・スワローがすごく良かったです。この人のベースって、音楽を支えるのではなくて、スッと流れのなかに入って漂うって感じですごく好きです。そんなスワローのベースが、ジョンスコのぐっちゃぐちゃなギターとからみ合うのだからたまりません。

後半のブラッド・メルドーは、冒頭の深ーいピアノの一音から、ジョンスコでアツくなった聴衆の心を一気に覚ましました。(冷ます?醒ます?いや、やっぱり「覚ます」。)僕はここまで左手が「語る」ジャズ・ピアノを聴いたことがありません。この左手が重く深いんだ。

レディオヘッドの曲あり、レノン/マッカートニーありとバラエティに富んだ選曲でしたが、一番印象に残ったのは「オール・ザ・シングス・ユー・アー」。この曲の解体っぷりはすごかったです。曲が進むにつれ、「あ、この曲、オール・ザ・シングス~だ」と気づいた瞬間があったのですが、またすぐにそれが闇の中に消えていきました。

楽しいコンサートでした。これ、順番が逆「メルドー→ジョンスコ」だったらダメだったでしょうね。

ところで一緒に行った人に「すごくよかったから、おすすめのCDを教えて」と言われてちょっと困ってしまいました。

ブラッド・メルドーの方は、「ベースとドラムスがうるさかった」と言われたので(そうだったかなあ?)、『ライブ・イン・トーキョー』をすすめておきました。

ジョンスコは・・・困ります。最近の「ジャズ」なアルバムだと、この日のみたいにイッちゃってるのって結構ないんですよね。今回のトリオによる録音や、ブラッド・メルドーと共演しているものもあるのですが。。。気に入ってもらえるかなあ。それに僕もジョンスコの全てのCDを聴いているわけではないし。うーん、ジャムバンドかなあ。

なにかいいCDがあったら教えてください。

これがクラシックだったら、「ちょっとズレたものを貸して反応を楽しむ」なんて事をする余裕が多少はあるのですが。
(以前「ブルックナーの交響曲って聴いたこと無いんだけど、なんかいいCDある?」って聞かれて、ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの九番を人に貸したことがあります。初めて聴くブルックナーがムラヴィンスキーって人の反応を見てみたかったのです。)
# by ring_taro | 2005-04-11 19:56 | ジャズ
フィラデルフィア管弦楽団の4月の演奏会のプログラムに、エッシェンバッハのこの夏の予定が載っていました。

フィラデルフィア管弦楽団のアジア・ツアーが6月7日のソウル公演で終わったあと、バンベルグにてバンベルグ交響楽団の二回の演奏会で指揮。その後、昨年まで首席指揮者をつとめたハンブルグのNDR交響楽団で二回の演奏会(6月19日、20日)。6月28日、29日にはシュターツカペレ・ベルリンでプロコフィエフの交響曲五番他。7月頭にはドレスデン・シュターツカペレで三回の演奏会。

7月の半ばにはシュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭でその祝祭管弦楽団と三回の演奏会。そのまま、このオーケストラと日本へのツアー。会場は広島、神戸、金沢。8月の頭にはシカゴ郊外のラヴィニア音楽祭でシカゴ交響楽団と四回の演奏会。

まさに大忙し。
二ヶ月ばかりの間に二回も来日するのですね。

フィラデルフィア管との来日公演ではマーラーなどが中心ですが、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン管とは主にブラームスなどをやるようです。

そういえば僕はエッシェンバッハ指揮のブラームスの交響曲を実演で聴いたことはありません。来シーズンも一番をサヴァリッシュ、二番をテミルカーノフ、そして四番をラトルがやるのですが、エッシェンバッハはないようですね。

もし7月に聴きに行かれる方がいらっしゃいましたら、ぜひ感想を聞かせてください。
# by ring_taro | 2005-04-10 20:32 | 音楽全般
フィラデルフィア管弦楽団演奏会 (Apr. 7, 05)
キメル・センター、ボライゾン・ホール

フォーレ: 「ペレアスとメリザンド」組曲
マクミラン: 交響曲第三番「サイレンス」
ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第一番

シャルル・デュトワ: 指揮
マルタ・アルゲリッチ: ピアノ

日本でもおなじみのデュトワがフィラデルフィア管の定期に登場。
ちなみにデュトワはフィラデルフィアでもおなじみの指揮者で、フィラデルフィア管のサラトガにおける夏季シーズンの芸術監督をつとめているそうです。このコンビでラフマニノフの交響曲などをレコーディングしていますよね。

プログラムによると、フィラデルフィア管によるフォーレの「ペレアス~」組曲全曲の録音は63年のシャルル・ミュンシュ指揮のものだけだそうです。
この録音、もし聴いたことがない方がいらっしゃったら、ぜひ聴いてみてください。ああ、あるほど、この組み合わせだとこういう音楽になるのねと納得。ミュンシュとフィラデルフィア管の特徴がおかしな方向にがっつり噛み合って、相当にユニークなものが出来上がっています。一曲目の冒頭から熱風がムワーっと吹いてくる感じ。最初から最後までオケはユルユル。

ああ、思い出しただけでも汗がふきだしてくる。

気を取り直してこの日の演奏ですが、弦ももちろん美しかったのですが、管楽器のソロがとにかくすばらしい!特にオーボエのリチャード・ウッドハムズとホルンのノラン・ミラー。

二曲目「糸紡ぎの歌」のウッドハムズのオーボエの見事さといったらそれはもう…。あいかわらず、ゆとりと軽やかさと詩情と、あとちょっとだけ「ほつれ」が混ざりあった、すばらしいソロでした。

ノラン・ミラーのホルンの音は決して何かを声高に主張するものではありません。しかしその控えめさのなかに、なんともいえない味わいがあります。一聴すると地味ですが、一度その味を知ると、曲の最初から最後までミラーのホルンを追いかけることになったりします。(また追いかけづらいんだ、これが。)
一曲目「前奏曲」の後半、ホルンが単音をモールツ信号のように吹く個所があります。なんということはない所ですが、そこがもう、すばらしかったんですよ。思わずため息が出るくらい。
彼の現在の肩書きはRetired Principalですが、勝手ながら一年でも長くこのオケで吹き続けて欲しいと思います。

マクミランの交響曲は、2003年にデュトワ/N響が世界初演をしたもので、今回が米国での初演。遠藤周作の小説『沈黙』にインスパイアされて書かれたものだそうで、そのためかオリエンタルな感じのフレーズが多用されています。
曲の冒頭と終わりの部分のイングリッシュ・ホルンのソロが見事でした。この曲は始めて聴いたのですが、マクミランらしく金管の強奏あり、ミステリアスなムードありで、とても面白い音楽でした。こう、全体的にカラッとしているところがいいですね。
ただ、お客さんはちょっとお疲れ。

休憩後はアルゲリッチとのベートーヴェン。

この人のパッションの爆発の根源にあるものとはなんでしょうか?あまりアルゲリッチの音楽に詳しくない自分的には、「唐突」なところも結構あったりして、かなりスリリング。オケも苦笑混じりに必死についていきます。

ただ、聴いているうちに次第にわかってくるものですね。「爆発」の前にはその兆しとしてのクッションなり助走なり雌伏なりがあることを理解したら、相当に面白く聴けました。

ただ、デュトワはさすがにアルゲリッチのことをよくわかってらっしゃる。アルゲリッチの自在な音楽に対して、しっかりと先回りしてオーケストラをコントロール。この「先回り」感覚がデュトワの指揮の特徴な気がします。この人は本当に上手いなー。

一番面白かったのは、三楽章冒頭。この頭のフレーズは、一つ目の音は「ひっかけ」で、普通は二番目の音にアクセントがあるのですが、アルゲリッチは明らかに最初の音にアクセントをつけて弾きだしました。これはこれで面白いのですが、旋律が進んでいくにつれて辻褄があわなくなってきます。

この冒頭の部分、ただでさえちょっとこんがらがっているので、この日の演奏ではもうおよそ「混沌」。それでその後、オケは普通のイントネーションで弾いちゃうんだから、もお。ただ、この直後、音楽が一気にクリアなものになるという思わぬ効果があったので、結果オーライということで。
# by ring_taro | 2005-04-09 17:32 | クラシックの演奏会
キーロフ管弦楽団(マリンスキー劇場)演奏会 (Apr. 5, 05)
カーネギー・ホール、アイザック・スターン・オーディトリアム

ムソルグスキー: 「ホヴァンシチナ」前奏曲(ショスタコーヴィチ編)
プロコフィエフ: 交響曲第二番
シベリウス: ヴァイオリン協奏曲
ボロディン: 交響曲第二番

ワレリー・ゲルギエフ: 指揮
レオニダス・カヴァコス: ヴァイオリン

プロコフィエフの交響曲が進むにつれ、これはすごい演奏だなと驚きを隠せませんでした。あまりに「音楽的」なのです。

「そりゃそうだろ音楽なんだから」と突っこまれそうですが、とにかく無駄な音が何一つもない、非のうちどころのない音楽がそこにあったのです。
なのでこの曲の持つとんがった部分、過激な部分、異形さなどが一切どこかへ飛んでいってしまっているのです。何かが飛び出て単独で自己主張することなく、常に「オーケストラ単位」で動いている感じです。

しかしこれはすごいことですよ。だってプロコフィエフの二番ですよ。この曲が持つ「過激さ」とか「いびつさ」が一切取り除かれていたのです。 「音楽的なるもの」のみでつくりあげられた音楽。ゲルギエフ/キーロフ・オケの計り知れないその能力に戦慄すら覚えてしまいました。

ただ、そんなプロコフィエフを聴きながら、取り除かれたその「とんがったもの」を無性に欲する自分がいたことも白状しなければいけません。だってプロコフィエフの二番ですよ、しつこいようですが。物足りないというのとは違うのですが、なにかこう、無性に寂しくなるのです。

もちろん僕が抱いたこの印象には、カーネギー・ホールの音響が多少なりとも影響していたのでしょう。
このホールでオーケストラを聴いたのは今回が初めてなのですが、舞台の上だけで音楽が出来上がっていく印象です。つまり例えばキメル・センターのようにホール全体でサウンドをつくっていくのとはちょっと違うような。音楽が出来上がるのを遠巻きに傍観している感じというのかな。
ただ、このコンビで出ているショスタコーヴィチの交響曲のCDを聴いたときも同じ印象を持ったので、必ずしもホールのせいだけではないと思います。

さて休憩後のシベリウス。
ソリストのカヴァコスは今シーズンのフィラデルフィア管の定演でも聴きました。印象はそのときとだいたい同じで、「きびしさ」よりも「おおらかさ」が特徴のヴァイオリニストです。どんなに切羽詰ったシーンでも、ゆとりは決して忘れないといいますか。あたたかーいヴァイオリンです。まあ、そんなシベリウスはいやぁ!っていう人もいるでしょう。

その一方、オケの強奏のはっちゃけっぷりといったら。。。弾き方吹き方をそのままでシベリウスの交響曲とかをやったら、相当にすんごいものが出来上がっちゃうでしょう。ただ、二楽章冒頭のホルン(とファゴット)は息をのむほど美しかったです。

そして最後はボロディンの二番。
この曲に対するゲルギエフ/キーロフ・オケの愛情というか誇りのようなものを強烈に感じさせる演奏でした。いうなれば、「自分たちが一番この曲をうまく演奏できるんだ」という絶対的な自信というか。遅いテンポでじっくりと音楽を進めていきます。

ただし、そういった愛着や誇りが、この曲について語られるときに良く用いられる「ロシアの土臭さ」へと結びつくわけではありません。くりかえしますが、どこまでも音楽的。

ここまで思いが込められたボロディンというのは聴いたことがありませんでした。特に三楽章。木管からホルン、そしてオーケストラ全体で盛り上がっていくところは、胸が熱くならずにいられませんでした。

ああ、この曲をかつてやっていた頃、オケのメンバーと「イモくさーい」なんて言いあっていた自分をつかまえて、しばきあげてやりたいです。ああ、自分が情けない。

最後にゲルギエフに関する自分なりの小括。
「音楽的なるもの」への強烈な意志。どんなにとんがった曲でも、とっちらかった曲でも、ひとつの「音楽」へとつくりあげていく手腕こそが、ゲルギエフ最大の魅力とみた。
# by ring_taro | 2005-04-08 22:28 | クラシックの演奏会