アメリカはフィラデルフィアに住む“りんたろう”のブログ


by ring_taro
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フィラデルフィア管弦楽団演奏会 (Apr. 29, 05)
キメル・センター、ボライゾン・ホール

ディーリアス: 楽園への道(「村のロミオとジュリエット」より、ビーチャム編)
モウ: イングリッシュ・ホルン協奏曲
リムスキー=コルサコフ: シェエラザード

ロセン・ミラノフ: 指揮
エリザベス・メズーニャ: イングリッシュ・ホルン

ミラノフはフィラデルフィア管の副指揮者です。
この人はいつからこのポストにいたのでしょうか?服装とか指揮振りとかエッシェンバッハによく似てます。

一曲目はディーリアス。
この「村のロミオとジュリエット」というオペラ、この前DVDで初めて観たのですが、予想だにしなかった「楽園」の正体と物語の結末に度肝をぬかれたものでした。「楽園への道」と呼ばれるこの間奏曲は、大変美しい曲です。このオケのイングリッシュ・ホルン奏者メズーニャが大活躍。次の曲では協奏曲のソリストなのに。

イングランド出身の作曲家ニコラス・モウによるイングリッシュ・ホルン協奏曲は今回が世界初演。
演奏前の解説によると、テンポが速めから次第に遅くなっていくこの曲の構成はイングリッシュ・ホルンという楽器の特徴を考えてのものだそうです。なるほど、すぐに思い浮かぶ歴代のイングリッシュ・ホルンの名ソロはゆっくりなものばかりですね。と、ここで真っ先に思い浮かべたソロがショスタコーヴィチの交響曲第八番の一楽章だったあなたは相当のショスタコ中毒です。

で、演奏なのですが、確かに後半のテンポの遅くなってからが一番印象に残ります。

休憩後はシェエラザード。
今回買ったのは安い席だったので、前から二列目、チェロの真ん前に座っていました。そしたら「シェエラザード」の一楽章、チェロが延々ドンブラコッコドンブラコッコとやっているので、聴いていて船酔いになりそうでしたよ。

演奏は実にもって見事。ヴァイオリン、木管、金管のソロは何も言うことはありませんし、合奏部分のギラギラしたオーケストラ・サウンドもたまりません。四楽章クライマックスではまた船酔い状態。

ところでこの曲で最近よく聴いているのはムーティ/フィラデルフィア管のものです。ムーティの音楽の魅力はフレーズの一つ一つが確かな「意思」を持っていること、そしてそのフレーズたちが集まり一つの大きな曲という「意思」にまとまっていくところだと思います。「シェエラザード」のCDは彼のそんな魅力を知るのに格好のものです。
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# by ring_taro | 2005-05-12 02:03 | クラシックの演奏会
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ながらく更新を怠ってしまいました。
多くの方に不義理をしてしまいました。申し訳ございません。

ここ一週間のあいだ、ワシントンDCだのシカゴだのに行っていたのです。

シカゴではシカゴ響を聴いてきました。
この演奏会に関しては、後ほど書きます。


ところで移動中の飛行機で、しばらく前に買ったままだった村上春樹の『海辺のカフカ』を読んでいました。そしてそこで書かれていたシューベルトのことを考えていました。

この小説のなかで、登場人物の一人がシューベルトのニ長調ソナタについて、ブレンデルとアシュケナージの演奏を個人的にあまり愛好しない、なぜならシューベルトというのは「ものごとのありかたに挑んで敗れるための音楽」だからだと言っています。

そういうものかなと飛行機の座席で思いました。
あまり同意する人は少ないかもしれませんが、僕はブレンデルのシューベルトが大好きなのです。そしてもっと同意する人は少ないかもしれませんが、僕はブレンデルのピアノの最大の魅力は、その研ぎ澄まされた美意識だと思うのです。青白い炎のようなシューベルト。

ただ、そのとき無性に聴きたくなったのは、ルドルフ・ぜルキンのものでした。
アパートに帰ってさっそくゼルキンのニ長調ソナタを聴いてみます。なんという強靭なタッチ。なんという強い意志。自分の進むべき道にすこしも迷いのないピアノ。

それは「逍遥」に例えられるシューベルトの音楽からすれば、かなり異質なものかもしれません。ゼルキンもそれはわかっていたのかも。しかし彼には「これ」しかないのです。

そこで僕は「ものごとのありかたに挑んで敗れるための音楽」の意味がちょっとわかったような気がしました。


(写真はシカゴ交響楽団の本拠地、セオドア・トーマス・オーケストラ・ホール。フツーのビルに見えます。)
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# by ring_taro | 2005-05-11 00:49 | アメリカを歩く

純粋さと明晰さ

ドーン・アップショウ、リチャード・グード演奏会 (Apr. 26, 05)
キメル・センター、ボライゾン・ホール

ハイドン: ピアノ・ソナタハ長調 Hob. XVI-50
シューマン: リーダークライス Op. 39
ドビュッシー: 華やかな饗宴 第二集
ドビュッシー: 枯葉 (前奏曲第二集より)
ドビュッシー: 喜びの島
ムソルグスキー: 「子供の部屋」より

ドーン・アップショウ: ソプラノ
リチャード・グード: ピアノ

アップショウのソプラノとグードのソロ・ピアノが楽しめるなかなかお得な演奏会。

グードのピアノは実にスリリングですね。ハイドンの一楽章など加速→急ブレーキ→加速→急ブレーキを延々続けていました。なんというか、こう、すごくバネのきいたピアノというか。

アップショウのソプラノはとにかく歌声のクセの無さ、素直さが特徴的です。リーダークライスって曲自体がもうちょっとクセのある曲だったような気がしますが、実に透明度の高い音楽になっていました。

ところでアップショウといえば忘れてはならないのは、ケント・ナガノ/リヨン国立歌劇場管とのカントルーブの「オーヴェルニュの歌」のCD。曲の土臭さはどこかへ吹き飛び、、そこにあるのは澄んだ空気と青い空と緑の丘。あれ、オーベルニュの人々は?見当たりません。てな感じのちょっと異色な美しい演奏です。

閑話休題。
伴奏になるとよくわかるのですが、グードのピアノは実に明るいです。例えばリーダークライスの三曲目「森の語らい」などは、結構シビアな曲だと思うのですが、冒頭から能天気炸裂。カラッと明るいシューマンになっております。

個人的にはこういう明晰なピアノのドビュッシーは大好き。特に「喜びの島」はこうじゃなくっちゃ。グードは恥ずかしながらハイドンやベートーヴェンのイメージしかなかったのですが、ドビュッシーもいいですねー。

最後はムソルグスキーの歌曲集「子供の部屋」より五曲。子供目線の歌なので、アップショウは「お茶目さ」と「迫真の演技」を見事に結合させ、ある意味壮絶な歌いっぷりを見せつけます。無邪気で明るい音楽ですが、そこはムソルグスキー。どこかにイビツさや不穏さが見え隠れするところはさすが。


ところで演奏会後に、アップショウとグードとのレセプションがあったのですが、行ってみたら参加者は8人ほど。もっとちゃんとPRしなさいよって感じです。まあ僕たちは楽しかったからよかったけど。
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# by ring_taro | 2005-04-29 13:32 | クラシックの演奏会

Music From the Inside Out

フィラデルフィア管弦楽団の団員を追いかけたドキュメンタリー映画、Music From the Inside Outを観てきました。期待した以上の面白さでしたよ。こういう類のドキュメンタリーを観てジーンとくることって、今まであまりありませんでした。

ディレクター/プロデューサーのダニエル・アンカーによると、この映画は "musical essay" だそうです。

団員へのインタビューや私生活の風景、彼らのグループ・ディスカッション、そして実際の演奏風景などで構成されています。ホストやナレーターを入れない、インタビューのときに聞き手の声を入れない、指揮者たちへのインタビューも(かなりやったそうですが)あえてカットと、徹底して「演奏者たち」に焦点を絞った映画です。
実に五年に渡ってこのオーケストラを追いかけたそうで、アジアやヨーロッパでのツアー風景なども観ることができます。

映画は「音楽とは何か」という質問をぶつけられた団員たちが悩んだり、みんなで語り合う光景から始まります。「すばらしい音楽とはどのようなものか、どのようにして生まれるのか」と言う謎を、すばらしい音楽を作り出す側の人たちがまじめに考え込む風景は、演奏する行為の深遠さと、「謎」ゆえに魅力であることを私たちに教えてくれます。

すごくよかったのは、コンサート・マスターのデビット・キムの話。
全米をツアーするソロ・ヴァイオリニストだった彼がオーケストラに入ろうと決心した時のことを語るのですが、そこに彼がフィラデルフィア管の団員と共にシューベルトの弦楽五重奏曲を演奏している映像がオーバーラップするのです。キムの語る「アンサンブルをする喜び」にこれほど説得力を持たせる構成が他にあるでしょうか。しかも曲はこの世に残された最後の花園のようなシューベルトのあのクインテット。

そしてこの映画の終わりの部分。団員一人一人が「あの曲」を弾いたり吹いたり歌ったりするのを繋ぎあわせ、それがいつの間にかエッシェンバッハ指揮のオーケストラによる演奏に切り換わります。なんというすばらしいクライマックス。

上映後は団員たちによる質疑応答がありました。
それによると今回の一週間の上演は「テスト・ラン」であり、この後再び編集し直して全米で上映する予定だそうです。同時にビデオやDVDとしても発売して教育の現場などで観てもらうことを考えているそうです。(DVDが出たら絶対買います!)
映画のいろいろな内情を知ることができましたし、観客も編集などについての突っこんだ質問や注文をしたりして、とても面白かったです。


気になるのは、映画の各所で観られたエッシェンバッハ指揮の演奏風景。これはキメル・センターで観客を入れずに特別に収録したものだそうです。通して演奏したものを抜き出して、映画に収録したそうな。
ということは、エッシェンバッハが指揮するフィラデルフィア管のベートーヴェンやシューベルトやブラームスのまとまった映像が残されているということ。DVDになるときにボーナス・トラックとかで入れてくれないものでしょうか。特にシューベルトはよかったなあ。
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# by ring_taro | 2005-04-28 23:39 | フィラデルフィア管弦楽団
Jimmy Scot and the Jazz Expressions
Dianne Reeves (Apr. 22, 05)
キメル・センター、ボライゾン・ホール

会場につめかけた人々のジミー・スコットに対する「リスペクト」がすごかったです。なんだかその敬意が発する暖かさがホールを満たしている感じ。

で、ジミー・スコットはというと、それはもう「音程」とかそういう瑣末なことはもはや超越した境地。暖かーい声で歌います。幸せなひと時です。

後半はダイアン・リーヴス。
ここまで巧くて正確なジャズ・ボーカルってあるものなのか!押しても巧いし、引いても巧い。まさに自在な歌。一番印象に残った曲は、セロニアス・モンクの「リフレクションズ」です。モンクがつくった曲はそのキテレツさに目がいきがちですが、実はとっても美しいということを再認識いたしました。


ところで今回のコンサートの客層は、同じホールで行なわれるフィラデルフィア管弦楽団のそれとはまっっったく違うものした。そしてみんな思い思いのおしゃれをして来るのです。普通の格好で行った自分が恥ずかしいくらい。そのおしゃれの多様なこと。クラシックのコンサートでのやや画一的なものとは違い、カラフルなものあり、自らの民族的ルーツを意識したものありと、観客を見ているだけでも退屈しないくらいです。そしてコンサートが終わると、みんな幸せそうな顔をして家路につきます。

以前、リッカルド・ムーティがこの街についての「文化的に洗練された人は一握りしかいなくて、まるでゲットーだ」という発言(をしたと書かれた記事)を紹介しました。ムーティが本当にそんなことを言ったのかどうかは置いておくとして、それは物事のほんの一面しか捉えてないことがわかります。
フィラデルフィアの人はみんなとっても文化的に生きています。
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# by ring_taro | 2005-04-24 23:04 | ジャズ

105 People... One Passion

現在、フィラデルフィア管弦楽団をあつかったドキュメンタリー映画が公開されています。

MUSIC FROM THE INSIDE OUTというタイトルのこの映画、予告編を見た限りでは団員たちのインタビューと私生活、それとリハーサル風景で構成されているみたいです。

"MUSIC FROM THE INSIDE OUT is the Orchestra’s first major film project since Fantasia"だそうな。

Rizt 5(フィラデルフィアの街中にあるシネマ・コンプレックス)で22日から28日まで上映中。て、一週間だけかよ。観に行けるかなー。行きたいなー。行ったらまた感想を書きますね。

日本で上映する予定があるのかどうかは・・・わかりません。

詳細はこの映画のHPへ。


ところでアメリカの映画館に行くと、ドキュメンタリー映画の数が多いことに驚かされます。みんなそれを「娯楽」として観に行くんです。「作り話の映画は観ない」なんて言う友達もいます。僕もここ数ヶ月で三本観ましたが、どうしても娯楽にはならないなー。

ちなみにこの記事のタイトルは映画のキャッチ・コピーから。
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# by ring_taro | 2005-04-23 22:08 | フィラデルフィア管弦楽団
フィラデルフィア管弦楽団演奏会 (Apr. 16, 05)
キメル・センター、ボライゾン・ホール

リムスキー=コルサコフ: ロシアの復活祭序曲
ストラヴィンスキー: ハ調交響曲
ベートーヴェン: 交響曲第七番

シャルル・デュトワ: 指揮

前回の演奏会よりも「デュトワらしさ」を理解しやすいプログラムだったと思います。

僕が初めて買ったストラヴィンスキーの交響曲のCDはデュトワのものでした。確かスイス・ロマンド管とのものだった気がします。その録音があまりに鮮烈だったので、そのあと聴いたどのCDも物足りなく思ったものでした。

と、今回の演奏はその録音とはずいぶん印象が違う感じ。テンポは相当遅く、音楽がやわらかい。出色だったのは二楽章。ゆったりとしたテンポのなか、弦が木管が美しいメロディを紡いでいきます。

フィラデルフィア管がこの曲を以前に演奏したのは2000年。(その前となると1964年までさかのぼります。)指揮はサヴァリッシュ。この日の演奏以上にまったりとしたストラヴィンスキーだったのではと勝手に想像します。あるいはそのときの演奏が、今回のおおらかなストラヴィンスキーのベースをつくったのかも。


ベートーヴェンも同様、カドのとれた柔らかな音楽でした。

こんなに流麗なべト7は聴いたことがありません。とにかく音楽が流れる流れる。この曲を特徴づけているリズムは後方に押しやられ、滑らかさが前面に出ている感じ。

一楽章の途中、ずーっときざまれているビートが一瞬エアポケットのように無くなる部分があるのですが、ここが面白い。それまではこのビートのおかげでかろうじて保たれていた曲のリズミカルな側面が、この部分で楔を抜かれたようにふっと緩んでしまいました。

この曲もストラヴィンスキーと同様、二楽章が一番よかったです。冒頭、弦が次第に重なっていく部分から最上のバランスと美感で音楽が進んでいきます。一分のすきも無いまさしく完璧な音楽でした。


デュトワがベト7を振ったらこんな感じになるだろーなーと想像した通りの演奏でした。デュトワがそれだけ自分のスタイルを確立した指揮者だからか、それとも僕があまりに先入観で音楽を聴きすぎているのか・・・。


ところでこの日の演奏会はフィラデルフィア管をはじめて聴くという人と一緒に行ったのですが、演奏が終わった直後の第一声が「深みのない音ね」。

「ねーよ、そんなもん」と喉のところまで出かかりましたが、思いとどまり「えー、そうですかー?」とか言ってしまいました。ああ、なんだかちょっと自己嫌悪。
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# by ring_taro | 2005-04-22 07:46 | クラシックの演奏会
ニューヨーク・フィルハーモニック演奏会 (Apr. 14, 05)
リンカーン・センター、エーブリー・フィッシャー・ホール

ペトラッシ: 死者の合唱
リスト: ファウスト交響曲

リッカルド・ムーティ: 指揮
トーマス・モーザー: テノール
ニューヨーク・コラール・アーティスツ: 男声合唱

この日は午前中にオープン・リハーサルもあったので、それも見学してきました。すごく行ってよかったです。ムーティのことも、ファウスト交響曲のことも、より詳しく知ることができました。

一曲目のペトラッシ作曲「死者の合唱」が始まる前に、ムーティはマイクを使ってアナウンスをしました。この曲が作られた1941年という時代のイタリアについて、この曲を「今」演奏することの意味について。そして曲が終わっても拍手をしないで欲しいというお願いがありました。

この曲は三台のピアノ、金管、低弦、打楽器、そして男声合唱というすこし変わった編成の曲です。居心地の良さと悪さが共存するような不思議な曲でした。それは「死の安寧と理不尽さ」という歌詞の内容と密接に結びついたものだったのでしょう。ただ重苦しいだけでなく、どこかに諧謔味のある音楽です。

しかしこの曲の終わりに大変ショッキングなことがありました。音楽が静かに終わろうとしたまさにそのとき、ノーテンキな携帯の着信音が!コンサート・ホールに鳴り響く携帯の音は数多く聞いてきましたが、この日のそれほど凶悪なものは聴いたことがありません。

拍手をしないでほしいとお願いしたら、その代わりに着信音。
ああ、惨すぎる・・・。

ムーティは動じる気配も無くスッと舞台から引き上げていきましたが、残された奏者と観客の居心地の悪さ、気まずさといったらそれはもう・・・。ああ、思い出しただけで胃が痛くなる。

さあっ。き、気を取り直して後半のファウスト交響曲だっ。
大曲だぞー。

ところでムーティのリハーサルですが、曲の要所での「キメ」の部分を確認する以外は、ほとんどがフレージングやメロディの歌わせ方に関するものばかりでした。

このムーティの「うた」への執着はすさまじいものがありました。最後のリハーサルということもあって、前プロのペトラッシは流しただけで終わりましたが、リストはこだわりにこだわりぬいたリハーサルでした。

特に第二楽章「グレートヒェン」のリハーサルでは、ムーティ自身が朗々とすばらしい声で歌いながら、内声部にまで執拗にカンタービレを要求していました。
そして本番では20分以上にわたり、オーケストラが歌いっぱなし。ここまで全てのパートが歌いきったオーケストラの演奏というものは聴いたことがありません。一音たりとも歌いそこねてなるものかといわんばかりのオーケストラの入れ込みよう。呼吸をするのも思わず忘れてしまうような美しい音楽でした。
うおー、こんなにすばらしい曲だったのか、ファウスト交響曲って。

三楽章のリハーサルでは一転、ビートの維持に神経を注いでいました。ムーティはオーケストラがビートに乗り切れていないと感じているらしく、何度も止めては注意します。特に楽章の真ん中あたりでフーガっぽい展開になるところの頭のヴィオラと2ndヴァイオリンが気に入らないらしく、延々とパート弾きをさせ続けます。おーい、夜には本番だよなーなんて不安になったものでした。

ムーティの説明したところによると(声を全て聞き取れたわけではないので、ジャスチャーなどで判断するに)、ビートの維持はその先にある音楽の「解放」のためのもののようです。我慢に我慢を重ねて音楽を維持してエネルギーを溜めることによって、クライマックスで一層のカタルシスを得ることができる。そんなことを説明していました。

(すいません、「解放」というのは僕の言葉です。上手く説明できませんが、単純に言ってしまえば、一番盛り上がったところの「ジャーン!!」って感じの部分のことです。)

このことが僕のムーティの音楽に対する理解をより深めてくれたような気がします。
というのは、僕は以前からムーティの音楽で気になることとして、弱音があまりに弱すぎるというものがあったのです。静かな部分で音をあまりに小さくしすぎて、音楽を窒息させている。そんなふうに感じることがしばしばありました。
しかしこの日のリハーサルを聴いてわかりました。その後の音楽の「解放」のためだったんですね。この日の演奏でもそれはもう限界まで音を小さくさせていた部分が多々ありましたが、それが刹那的なものではなく、音楽の流れに則した必然性のあるものだと気がついたら、ムーティの音楽をより楽しむことができました。

合唱とテノールのソリストは三楽章途中から入場。これまでの70分はこのためにあったのだと思わせるような感動的なクライマックスをつくりあげていました。

ムーティの「うた」への執念、音楽に対する真摯な姿勢に心を打たれた演奏会でした。

ああ、また一人、「首ったけ」な指揮者ができてしまった・・・。
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# by ring_taro | 2005-04-17 07:14 | クラシックの演奏会
スティーブン・イッサーリス、スティーブン・ハフ演奏会 (Apr. 13, 05)
キメル・センター、ペレルマン・シアター

ヨハン・フンメル: 変奏曲ニ短調
スーク: バラードとセレナーデ
ブラームス: チェロ・ソナタホ短調 Op. 38
マルチヌー: スロヴァキアの主題による変奏曲
ブラームス: チェロ・ソナタヘ長調Op. 99

スティーブン・イッサーリス: チェロ
スティーブン・ハフ: ピアノ

フィラデルフィアでイッサーリスを聴くのは昨年9月のフィラデルフィア室内管弦楽団の演奏会以来二回目です。あの時はショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第一番だったのですが、雄弁で深い音に感動したものでした。(ホルンも実にすばらしかったです。)

この日のブラームスは、あのショスタコーヴィチに比べると、より丁寧で内省的な演奏だったと思います。僕はそういうブラームスの方が断然好き。ホ短調の方のチェロ・ソナタで、なんか感情むき出しの始まり方とかされるとゲンナリしますもん。(だれのCDかはあえて言いませんが。)

ハフのピアノはイッサーリスに比べるとちょっと表現主義的。ただ、二人の息が実に合っているため、それほど違和感がありませんでした。
ところでよく考えたらこの人、マゼール/ニューヨーク・フィルがフィラデルフィアに来たときにやったラフマニノフのソリストでした。あまり記憶に無いんだけど・・・。

アンコールはそのハフが作曲した、イッサーリスの娘さん(いや、息子さんだっけかな?)にささげた小品。きれいな曲でした。
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# by ring_taro | 2005-04-17 03:29 | クラシックの演奏会

ようやくNYに慣れてきた

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ニューヨークに行ってきました。

ようやくNYに慣れてきたといいますか、迷わなくなりました。
路線図見ずに地下鉄に乗れるようになったし。

NYに出かけた本当の目的はさておき、個人的にはムーティ/ニューヨーク・フィルを聴きにいけたことがうれしかったです。しかも無理してオープン・リハーサルから聴いてきました。

すごく面白かったですよ。無理してよかった。いろいろなところにシワ寄せがきたけど。
感想はまた後ほど書きます。


ところで夏に友人と何人かでタングルウッドに行こうと計画中。
どなたか一緒に行きませんか?少しでも安くあげたいので。

8月にはタングルウッドから100キロほど西にあるニューヨーク州サラトガ・スプリングスで、フィラデルフィア管が夏のシリーズをやっています。無理して両方聴きに行こうと思っています。


(写真はNYのリンカーン・センター。左がメトロポリタン歌劇場、右がニューヨーク・フィルの本拠地エーブリー・フィッシャー・ホール。)
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# by ring_taro | 2005-04-16 13:53 | ひとりごと