どうなるフィラデルフィア管
2006年 10月 27日
またまたご無沙汰してしまいました。
今日は最近のフィラデルフィア・インクワイヤラー紙のエッシェンバッハに関する記事を見てみます。(記事の面白そうな部分をピックアップするという、本当は一番やってはいけないことをやっちゃいます。)
まずは10月21日の記事から。
現在、エッシェンバッハ氏はパリの自宅にいるが、いまだ直接マスコミには語っていない。スポークスウーマンを通して契約の延長をしない理由を、音楽監督に就任した時に設定した目標を達成したからだとコメントした。
「クリストフはとても個人的な人間です。とても繊細な人間です。私たちはとても広範囲にわたる話し合いをし、その結果このような決定をしました。」(フィラデルフィア管のプレジデント、ジェームズ・アンダーコフラー氏談)
エッシェンバッハとこのオケはこの三年間でいくつかのの素晴らしい演奏をしたが、それより頻繁に彼のリハーサルと本番は団員からの苦情をよぶことになった。本番中スコアを見失ったり、まとまりのないリハーサルをした挙げ句に時間の延長を要求したり、テンポの奇妙な加速減速を主張したり。
この契約延長をしない旨の報告を昨日のウンジャンとのリハーサル時に聞いた団員は一様に静かであったという。多くの団員はエッシェンバッハは引き続きこのオーケストラに留まるものだと考えていた。
指揮者のスケジュールというものは数年先まで決まっているものであるから、少なくとも2008-09シーズンは音楽監督なしでやることになる。まだ後任探しは始まっていないとのこと。
(Peter Dobrin, "Eschenbach to bow out in 2008: Music director will leave after 5 years with orchestra," Philadelphia Inquirer, October 21, 2006.)
次は翌日の10月22日の記事から。「苦難の時期は終わった」なんてびっくりするような書き出しで始まります。特に後任に関する記述の部分を見てみましょう。
後任探しは難航するだろうが、こういうものは天からの気まぐれな授かり物的な要素がある。例えばベルナルド・ハイティンクは思いのほか早くドレスデンを離れたが、その結果首席指揮者としてシカゴ響と多くの時間を割くことが出来た。リッカルド・ムーティは昨年スカラ座を追われたが、その空いたスケジュールをフィラデルフィアに使うことが出来る。
サイモン・ラトルは90年代の終わりにこのオケからの音楽監督就任のオファーを断っているが、彼のベルリンでの評判はフィラデルフィアのエッシェンバッハと同じく賛否の分かれるものとなっている。それに今年始めに客演した時の彼とフィラデルフィア管との演奏は今までで最高のものだった。
オーケストラとこの街の人々はウラジミール・ユロフスキがブラームスやベートーヴェンをどのように振るのか大変関心がある。彼はもっぱらロシアものばかり取りあげ、その他のものはあまり取りあげる気がないようだ。
ワレリー・ゲルギエフは彼の過密気味のスケジュールにどれだけ予定を詰め込めるか楽しんでいるかのようだ。フィラデルフィアは彼がちょっとだけ立ち寄る場所以上の街になりたいと望んでいる。
シャルル・デュトワのスケジュール帳には、もはやモントリール響の名前はない。彼の毎年の客演は何かを期待させられる。しかし彼は「新鮮な血」とはなりえない。
後任探しにおいてエッシェンバッハのこの街の離れ方は汚点となるだろう。このオケは新たな指揮者泣かせのオーケストラ(the conductor-eating orchestra)としてその名を轟かせることになるかもしれない。
いずれにせよ、フィラデルフィアが求めているのは強いリーダーシップだ。エッシェンバッハが音楽監督に決まる前、このオケは複数の指揮者でやりくりすることを検討していた。例えばアトランタ響(スパノとラニクルズ)やピッツバーグ響(アンドリュー・デイヴィスとトルトゥリエとヤノフスキ)のように。
しかしそれらのオケはビッグ・ファイブではない。フィラデルフィア管のようなオケではキャリア的に失うものがない団員たちにビジョンを示すことが出来るリーダーシップがしばしば求められる。
クルト・マズアはズビン・メータとの悲惨な時期を経たニューヨーク・フィルをどのようにしてそんなに素晴らしい演奏ができるまでにしたのかと聞かれてこう答えた。「こう言ったんだ。私のためにやるのがイヤなら帰りますよってね。」
聞いたかい、フィラデルフィア?
(David Patrick, "Minus a maestro: Long finale may be building," Philadelphia Inquirer, October 22, 2006.)
と、ここまで書いてですね、「南イタリアの申し子」さんが同じ新聞記事を僕なんかよりもっと美しい言葉で扱ってらっしゃることに気がつきました。あれですね、言語能力(日本語も英語も)にいかんともしがたい差がありますね。ここまで読んでいただいてなんですが、こんな駄文を読むよりそちらを読んでくださいませ。ここから先はあまり愉快なことは書いてありませんし。
すいませんでした。
以下、記事を読んでのとても個人的な感想。
最近、インクワイヤラー紙を読んでいると驚きあきれることばかりです。
指揮者と団員との間に緊張があったのは間違いないでしょう。でもエッシェンバッハが多くを語らないからといって団員側の話だけ聞いて記事書いちゃったりするのはどうなんですか。
まだ後任選びが始まっていない段階で出てくる名前にたいした意味はないのはわかります。今年と来年に客演する指揮者をちょっとピックアップしてみただけのことでしょう。でもそれにしたって、でてくる名前がトンデモすぎませんか。ムーティが戻ってくるなんてことあるでしょうか。ベルリン・フィルの音楽監督を辞した人間がアメリカのオケの音楽監督になるものでしょうか。どちらも似たようなケースが過去あるでしょうか。(あ、フルトヴェングラーがシカゴ響の音楽監督になりそうになったんでしたっけ?)ゲルギエフが仮に音楽監督になったとしてですよ、フィラデルフィアに多くの時間を割いてくれると思いますか。
「それらのオケはビッグ・ファイブではない」のくだりは読んでて本当につらくなりました。でもこの街の人にとって、ビッグ・ファイブとそれ以外のオケとの「格の違い」というのは厳然として存在するもののようです。
演奏会場で隣に座った人とかと話してて実感するのですが、この国のクラシック音楽を聴きにくる人たちってコンサートに行く前に新聞の演奏会評を読んで来たり、行ってもいないのに記事を読んでなんか聴いた気分になったりってのが相当多いんですよ。で、フィラデルフィアにクラシックの演奏会評が載るような新聞なんて一紙しかないわけですよ。恐ろしいことだと思います。アメリカのオケで上手くやっていくには、新聞を敵にまわさないこと。情報が団員を通して流れるので、そういう意味でも団員と上手くやっていくこと。大変な国ですね。
駄文、失礼いたしました。
今日は最近のフィラデルフィア・インクワイヤラー紙のエッシェンバッハに関する記事を見てみます。(記事の面白そうな部分をピックアップするという、本当は一番やってはいけないことをやっちゃいます。)
まずは10月21日の記事から。
現在、エッシェンバッハ氏はパリの自宅にいるが、いまだ直接マスコミには語っていない。スポークスウーマンを通して契約の延長をしない理由を、音楽監督に就任した時に設定した目標を達成したからだとコメントした。
「クリストフはとても個人的な人間です。とても繊細な人間です。私たちはとても広範囲にわたる話し合いをし、その結果このような決定をしました。」(フィラデルフィア管のプレジデント、ジェームズ・アンダーコフラー氏談)
エッシェンバッハとこのオケはこの三年間でいくつかのの素晴らしい演奏をしたが、それより頻繁に彼のリハーサルと本番は団員からの苦情をよぶことになった。本番中スコアを見失ったり、まとまりのないリハーサルをした挙げ句に時間の延長を要求したり、テンポの奇妙な加速減速を主張したり。
この契約延長をしない旨の報告を昨日のウンジャンとのリハーサル時に聞いた団員は一様に静かであったという。多くの団員はエッシェンバッハは引き続きこのオーケストラに留まるものだと考えていた。
指揮者のスケジュールというものは数年先まで決まっているものであるから、少なくとも2008-09シーズンは音楽監督なしでやることになる。まだ後任探しは始まっていないとのこと。
(Peter Dobrin, "Eschenbach to bow out in 2008: Music director will leave after 5 years with orchestra," Philadelphia Inquirer, October 21, 2006.)
次は翌日の10月22日の記事から。「苦難の時期は終わった」なんてびっくりするような書き出しで始まります。特に後任に関する記述の部分を見てみましょう。
後任探しは難航するだろうが、こういうものは天からの気まぐれな授かり物的な要素がある。例えばベルナルド・ハイティンクは思いのほか早くドレスデンを離れたが、その結果首席指揮者としてシカゴ響と多くの時間を割くことが出来た。リッカルド・ムーティは昨年スカラ座を追われたが、その空いたスケジュールをフィラデルフィアに使うことが出来る。
サイモン・ラトルは90年代の終わりにこのオケからの音楽監督就任のオファーを断っているが、彼のベルリンでの評判はフィラデルフィアのエッシェンバッハと同じく賛否の分かれるものとなっている。それに今年始めに客演した時の彼とフィラデルフィア管との演奏は今までで最高のものだった。
オーケストラとこの街の人々はウラジミール・ユロフスキがブラームスやベートーヴェンをどのように振るのか大変関心がある。彼はもっぱらロシアものばかり取りあげ、その他のものはあまり取りあげる気がないようだ。
ワレリー・ゲルギエフは彼の過密気味のスケジュールにどれだけ予定を詰め込めるか楽しんでいるかのようだ。フィラデルフィアは彼がちょっとだけ立ち寄る場所以上の街になりたいと望んでいる。
シャルル・デュトワのスケジュール帳には、もはやモントリール響の名前はない。彼の毎年の客演は何かを期待させられる。しかし彼は「新鮮な血」とはなりえない。
後任探しにおいてエッシェンバッハのこの街の離れ方は汚点となるだろう。このオケは新たな指揮者泣かせのオーケストラ(the conductor-eating orchestra)としてその名を轟かせることになるかもしれない。
いずれにせよ、フィラデルフィアが求めているのは強いリーダーシップだ。エッシェンバッハが音楽監督に決まる前、このオケは複数の指揮者でやりくりすることを検討していた。例えばアトランタ響(スパノとラニクルズ)やピッツバーグ響(アンドリュー・デイヴィスとトルトゥリエとヤノフスキ)のように。
しかしそれらのオケはビッグ・ファイブではない。フィラデルフィア管のようなオケではキャリア的に失うものがない団員たちにビジョンを示すことが出来るリーダーシップがしばしば求められる。
クルト・マズアはズビン・メータとの悲惨な時期を経たニューヨーク・フィルをどのようにしてそんなに素晴らしい演奏ができるまでにしたのかと聞かれてこう答えた。「こう言ったんだ。私のためにやるのがイヤなら帰りますよってね。」
聞いたかい、フィラデルフィア?
(David Patrick, "Minus a maestro: Long finale may be building," Philadelphia Inquirer, October 22, 2006.)
と、ここまで書いてですね、「南イタリアの申し子」さんが同じ新聞記事を僕なんかよりもっと美しい言葉で扱ってらっしゃることに気がつきました。あれですね、言語能力(日本語も英語も)にいかんともしがたい差がありますね。ここまで読んでいただいてなんですが、こんな駄文を読むよりそちらを読んでくださいませ。ここから先はあまり愉快なことは書いてありませんし。
すいませんでした。
以下、記事を読んでのとても個人的な感想。
最近、インクワイヤラー紙を読んでいると驚きあきれることばかりです。
指揮者と団員との間に緊張があったのは間違いないでしょう。でもエッシェンバッハが多くを語らないからといって団員側の話だけ聞いて記事書いちゃったりするのはどうなんですか。
まだ後任選びが始まっていない段階で出てくる名前にたいした意味はないのはわかります。今年と来年に客演する指揮者をちょっとピックアップしてみただけのことでしょう。でもそれにしたって、でてくる名前がトンデモすぎませんか。ムーティが戻ってくるなんてことあるでしょうか。ベルリン・フィルの音楽監督を辞した人間がアメリカのオケの音楽監督になるものでしょうか。どちらも似たようなケースが過去あるでしょうか。(あ、フルトヴェングラーがシカゴ響の音楽監督になりそうになったんでしたっけ?)ゲルギエフが仮に音楽監督になったとしてですよ、フィラデルフィアに多くの時間を割いてくれると思いますか。
「それらのオケはビッグ・ファイブではない」のくだりは読んでて本当につらくなりました。でもこの街の人にとって、ビッグ・ファイブとそれ以外のオケとの「格の違い」というのは厳然として存在するもののようです。
演奏会場で隣に座った人とかと話してて実感するのですが、この国のクラシック音楽を聴きにくる人たちってコンサートに行く前に新聞の演奏会評を読んで来たり、行ってもいないのに記事を読んでなんか聴いた気分になったりってのが相当多いんですよ。で、フィラデルフィアにクラシックの演奏会評が載るような新聞なんて一紙しかないわけですよ。恐ろしいことだと思います。アメリカのオケで上手くやっていくには、新聞を敵にまわさないこと。情報が団員を通して流れるので、そういう意味でも団員と上手くやっていくこと。大変な国ですね。
駄文、失礼いたしました。
by ring_taro
| 2006-10-27 18:50
| フィラデルフィア管弦楽団